2014-01-11[n年前へ]
■あの時見た世界を今の私が一緒に共有してみたら…。
十歳の時に東京からイギリスに越して暮らしてる…そんな女性写真家が、小さい頃の自分が写る写真に一緒に写ってみたならば、つまり、同じ場所にもう一度行き、同じように写真を撮って、同じような旅をして…同じ写真に写ってみたらという"imagine finding me"を見ると、時間の中を走る列車に乗り込んだドラマを見たような気になります。
Her series Imagine Finding Me consists of double self-portraits, with images of her present self beside her past self in various places she has visited. As Otsuka says: “The digital process becomes a tool, almost like a time machine, as I’m embarking on the journey to where I once belonged and at the same time becoming a tourist in my own history.”
Chino Otsuka
そんな郷愁を起こさせる写真を見ていると、やはり、合成具合が不自然に感じる写真も混じっています。それは、たとえば、写真に写る人を360°の周囲から照らす光の具合や影の具合だったりします。そこで、こんな風に考えます。もしも、360°周囲から自分を照らす光(や風景)を記録していたならば、未来の自分や他の誰かを、今の自分を包む世界や光の中に連れ込むことができるかもしれない…。
だから、たとえば、RICOH THETA 360°(全天球イメージ撮影デバイス) で周囲360°の全方向を記録する写真を撮っていたならば、そして、そんな風景を360°のドームに映した中で、いつかも一度写真を撮ったならば…人の背景には「かつて見た風景」が映り、そしてドーム中央に立つ人に対しては、かつて周りから浴びたのと同じ光が当たっていて…いつか見た世界と同じ世界を、違ういつかの誰かが一緒に共有することができるかもしれない…と考えたりします。(参考:THETAで撮った写真を天球ドームに映したところをTHETAで撮った。)
長方形のフレーム中だけでなく、全方向・全天球すべてにいる光や景色を(画素数が少なかったりやダイナミックレンジが足りなかったりしても)記録しておきさえすれば、未来の何時かに色んなものを眺めることができるのかもしれない…と思います。カメラマンが見た風景や、それとは180°逆方向にある、写真の中からカメラを眺めていた人が見た景色や、そんな人たちすべてを包む光や世界をもう一度眺めることができたなら…少し貴重な体験をすることができるかもしれません。