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2008-12-19[n年前へ]
■クロスロード 
新海誠 「手の届かない誰かを見ているあなたに」 asta 2009/1
「私はそこはかとなく悲しい」という主人公の独白から、濱野京子の小説『トーキョー・クロスロード (teens’best selections)』は始まる。
五反田、日暮里、神田、浜松町。栞と耕也は、デートとも探索ともつかぬ東京巡りをぎこちなく続ける。文章を追っているうちに、東京の色と音と匂いが鮮やかに蘇ってくる。そうだ、東京は確かにこういう街だった。そして、自分もかつてこのように誰かを好きになっていた、ということを続けて思い出すのだ。
東京で、もちろんそれ以外のあらゆる街で、そういう思いを抱えた人々がクロスロードを歩いている。だから街はこんなにも美しく見えるのだと、この小説は教えてくれる。
2009-12-19[n年前へ]
■「知っている」ことと「できる」ことは全く違う 
齋藤孝の「なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943)
」のあとがき、から。
できていないのに、「わかっている」と言い続ける人には、進歩がない。「知っている」ことと「できる」ことは、全く違うことだ。そのあいだには深い川が流れている。
2010-12-19[n年前へ]
■色んな場所に行ってみる。 
記憶が確かなら、ウィーンの街を高台から見下ろす写真を見た頃に書いたもの。
いつか、「民族音楽は聴かないの?」と聞かれたら、私も真似して言ってみよう。通勤電車の中で、iPodで聞く音楽じゃないから。色んな場所に行ってみる。その土地を包む音楽を肌で聴き、土地の空気に響く音に振り返り、空気に染みこむ匂いを鼻の奥で嗅ぎ、その場所を包むものを味わいに行く。私は色んな場所に行ってみる。
「世界の何処かで響く音」
2012-12-19[n年前へ]
■サンタが街にやってくる 
イルミネーションが街を飾り出すこの季節は、やはりサンタのことを考えたく鳴りますね(サンタが街にやってくる、数式とグラフも多い2001年版)
こうして…サンタが街にやってきます。ひとりのこどもが世界のどこかで生まれた瞬間に、どこかのこどもがサンタへと姿を変えていきます。
…そして、自分の姿を変えさせたこどもを見た時、「本当にサンタがいた」ということに気づくのです。
(すやすやと眠る)こどもに贈り物を届けたいと願う”存在”を蒸留したもの」こそがサンタクロースという名前で呼ばれる存在であって、そんな存在が確かに(小さかった頃の)自分の前にもかつて居て、時を経て、自分の目の前やその先にもいるのだろう。
「こどもに贈り物を届けたいと願う”存在”を蒸留したもの」こそサンタという存在だ