2011-08-08[n年前へ]
■コンピュータ技術で見つける幸せがあってもいいじゃないか。
見つけたら「幸せ」になれるという「四つ葉のクローバ探し」をスマートフォン・アプリとして実装する、という眞宮 啓さんの"Looking For The Happiness"("On the Green"をテーマに開催されたTokyo Midtown Award 2010 受賞作)。「幸せ探し」をコンピュータの画像処理でサポートするという「アイデア」が小気味よい。
子供の頃、誰もがやったことがある「四つ葉探し」をサポートするツールです。コンピュータ技術で見つける「幸せ」があってもいいじゃないか。
眞宮 啓
2011-08-07[n年前へ]
■「行きたい方向を向いて・その場所に行きたいと願えば…」
米津一成 「ロングライドに出かけよう 」
ひとつ知っていることがある。それは曲がりたい方向に顔を向け、自分の行きたい方向をしっかり見れば、自転車は自然とそちらへ向かう、ということだ。
…もうひとつ知ったことがある。遙か彼方をしっかり見つめ、その場所に行きたいと想えば、地面が繋がっている限り、その場所に行くことができるということだ。
2011-08-06[n年前へ]
■「地デジ化で消えた時報」と「3分10円の公衆電話」
TVのアナログ放送が終了し地デジに移行するとともに、TV放送からピッ・ピッ・ピッ・ポーンという時報も消えていきました(参考:携帯電話の同時性?::(2000.02.19))。デジタル放送になると…映りが悪いということが無くなって…ゼロかイチかで映るか・映らないのどちらかになってしまったり、チャンネルを変えても画面が映り・音声が再生されるまでに時間がかかったりします。だから、「時報」の意味がなくなって、TVの画面から「時報」の時計が消えました。
時刻を電波で受信して自動的に時間を合わせ続ける時計が使われるようになったり、あるいは、ネットワーク経由で時刻を修正するということが普通に行われる時代になりました。そして、それとともに「時報」のように身の回りから消えていくものが多くあります。技術革新が進むと、かつてあったはずの「生活必需品」のことを、私たちは忘れていきます。
1986年…今から25年前=四半世紀前の、種ともこの(小刻みに転調が繰り返されるのが印象的な)「10円でゴメンね(HOT CHOCOLATE MIX はこちら)」を聴いていると、こんな歌詞が出てきます。
十円でゴメンね。言葉が出てこない。もしかしたら、いえ、もしかしなくても、もう解説無しでは…意味不明なのかもしれません。
ピンチのウルトラマンみたいさ。
制限時間、3ミニッツ。
昔は、街の中には公衆電話があって、家以外からは公衆電話でしか電話を掛けることができなくて、電話の”親機”とか”子機”なんていうものは一般的ではなくて(「電話の歴史」のその3あたりです)、だから、好きな人の”家”に(他の人に聞かれずに)電話を掛けようとするなら、まずは公衆電話という時代でした。十円玉を入れ、市内電話なら3分まで話すことができる…というわけです。だから、地球上では3分までしか活動できないウルトラマンと同じ「制限時間、3ミニッツ」と歌い上げられているのです。もちろん、十円玉を投入し続ければいくらでも電話できるわけですが(相手に電話を切られない限りは)、3分10円、30分で100円、1時間で200円…ということは、1日話すと24時間で4800円というわけで、いつまでも(電話で)話すことができるわけではないのです。…当時は、なかなか「定額制」のラブコールができる時代ではなかった、というわけです。
しかし、よくよく考えてみれば、直接会いながら話すのでなく、公衆電話から話すシチュエーションというのは、そもそも、あまり「芳(かんば)しい」状況ではないわけで、それはまさにピンチのウルトラマンでもあるし…もしかしたら、ウルトラマンというより(歓迎されないにも関わらず)地球にやってきた怪獣のような状況だったりしたように思われます。…つまりは、ウルトラマンに3分10円ナリの短い時間に「倒される運命の(歓迎されざる)怪獣」というわけです。
地デジとともにTV画面から時報が消えました。そんなことを考えながら、TV画面の中で地球上から毎週のように消えていた「(3分10円の公衆電話で戦う)ガオーと叫びつつ倒される怪獣」を思い起こしました。技術革新とともに、かつての生活を、私たちは忘れていきます。…たまには、忘れかけていた「昔の生活」を、ふと想い出してみたくなりもします。
2011-08-05[n年前へ]
■”青春そのもの”だった「ぴあ」の最終号
39年、39歳になっていた「ぴあ」の最終号」東京では「ぴあ」を買い、関西では「Lマガ(Lmagazine)」(2008年末に休刊)を買っていた…けれど、そのどちらもがもうなくなった…と。何というか、サヨナラだけが人生だ。
学食で昼を食べながら、「ぴあ」を片手にその週の予定をたてていました。上京したての1年生のうちは、一人で寂しく。そのうちそれはサークル仲間でつるむ目的だったり、彼女とのデート目的だったり・・・完全に、自分にとっての「青春そのもの」でした。
編集部からのコメント:作り手にとっても、ぴあは「青春そのもの」でした。
2011-08-02[n年前へ]
■「タイ人は、ふらふら自由に歩いている犬を愛している」
作家・内澤旬子が行く『世界屠畜紀行』番外編〜タイ屠犬紀行〜から。ここに引用した”愛すべき”数文以外も(いや、それらこそが)、簡単には消化できない内容で、消化できないからこそ、長く”腹持ち”しそうに感じる「紀行文」
それにしてもタイ人は犬を決して繋ごうとしない。バンコク市内でもそうだ。そしたら半野生化するのも当然じゃないの、とコーさんに言うと、「犬を繋ぐのはかわいそうだ。タイ人は、ふらふら自由に歩いている犬を愛している」と言い張る。
(放し飼いで自由な犬と食べられる犬の違い)タイ人の白黒の区別の付け方が最後までしっくりこないまま、首をふりふり帰国したのであった。ふらふら自由に歩き、背中を丸めて昼寝 する…そんな不定形で定型な生活に憧れる人は、きっといますよね?
2011-07-27[n年前へ]
■自分の「気持ち」と「キャラクター」
かとうちあき「野宿入門〜ちょっと自由になる生き方〜 」中の「自分のキャラクターを知ろう」から。…とても単純でいて、だからこそ、とても一般的にあてはまる、つまり器用に上手に凝縮された言葉。
たぶん、ほとんどの人は、自分が見つけうる野宿地候補の中から、そのときの自分(の「気持ち」と「キャラクター」)と向き合い、どうにか妥協点を見いだすことで、野宿地を決定していくのでしょう。
「29歳、独身、女。風呂は、まだない」という言葉で始まる序章から、「すごく寂しくなっちゃって…そうしたら、私も自分の『家族』ってものが欲しくなったの。それで結婚したし、あなたも生んだの。…赤ちゃんだったあなたの背中には、羽が見えたのよう!あなたの背中に羽が見えたのよう!」と母が娘に語る言葉が記される「おわりに〜母とのおっぱい野宿」まで、ページを読み進めていくと…不思議なことに何でもできるような気持ちになってきます。
(何が豊かとか、何が面白いとか…わからないこと、割り切れないことを)わたしたちは答の出ないことを、あんまり深く考え込んではいけないのでしょう。 「これだけは覚えておこう」 from 「野宿入門 」
2011-07-24[n年前へ]
■誰かが想像できることは、他の誰かが必ず実現できる
「誰かが想像できることは、他の誰かが必ず実現できる」
Anything one man can imagine, other men can make real.
Verne, Jules
2011-07-22[n年前へ]
■一言二言で言い切ることができるものにロクなものはない
トイレの本棚に、六角橋商店街で大人買いした”人生をより低迷させる旅コミ誌”「野宿野郎」が並んでいる(もちろん、その他の本も並んでいる)。その野宿野郎の『やっとできたよ5号 〜特集〜 駅寝ってどうよ』から。
なんというか、一言二言で言い切ることができるものにロクなものはないと思う。
かとうちあき
2011-07-18[n年前へ]
■「切なる願い」と「希望」という「エネルギー」
2011 FIFA 女子サッカーワールドカップ決勝戦の試合前と試合後に、Abby Wambach(アビー・ワンバック)が語った、「(母国からの)たくさんの応援という12人目の選手」「切なる願いと希望というという12人目の選手」について。
"I can't tell you how important (it is) to have that 12th man,” Abby Wambach admitted. “I don't know if anybody's into energy, but all the energy -- the millions of people that are supporting us back home -- that is something to be reckoned with.
2011 FIFA Women's World Cup: New Fans for USA Through Power of Social Media
"Japan was playing with a very large 12th man; it's called desire and hope,"" They(Japan) never gave up."
A Tale of Too Many Misses
2011-07-14[n年前へ]
■大変であつくるしくって「 幸せな時間」
日本ペットフードの2004年のコマーシャルの上で、ありとあらゆる「大切でかけがえのないもの」にあてはまるだろうことを、児島令子が表現したことばから。
飼いたいけど飼わないという人がいたら、
伝えて欲しい。犬たちは、
あなたを悲しませるためにやっては来ない。
あなたを微笑ませるためだけにやって来るのだと。
たぶん今日も、日本中の犬たちは
すごく生きていて、飼い主たちは、
大変であつくるしくって、
幸せな時間を共有しているはず。