2011-07-11[n年前へ]
■「頭のいい人は…」
寺田寅彦が昭和八年に書いた文章から。同じ言葉から始まるリフレインが、色々な見方からの、けれどひとつの真実を繰り返し書く。最後の一文までを、繰り返し折りにつけ読み返したい「科学者とあたま」
頭のいい人には、恋ができない。恋は盲目である。
頭のいい人は、富士の裾野から頂上を眺めただけで東京へ引き返す心配がある、富士はやはり登ってみなければわからない。
頭のいい人は、批評家に適するが、行為の人にはなりにくい。
2011-07-10[n年前へ]
■1年365日続く毎日「スペシャル」な日常
ビニール・プールに許容量を遙かに超えた水を注入すると、長方形の水面が楕円形へと姿を変えていきます。そんな水面に浮かんでみたり・沈んでみたり、青空を水中から眺めてみたり・水面の上に顔を出してみたりしつつ、さまざまな本を読んでいます。
六角橋商店街の闇市で買った「野宿野郎 2号(特集:お遍路野宿)」を読んでいると、こんな一節に出会いました。
よく「遍路は人生のようなものだ」と言われますが、あながちクサイだけの比喩ではないと思います。
一歩一歩あるいていれば、いつか次の札所に着き、気がつけば八十八番を打ち終わっている。毎日毎日生きていれば、いつか人生が終わっている。
イマイアキラ
水に濡れたラッシュガード越しに吹く風は、いつもの千倍涼しさを感じさせ、(いつもはどこかに消えてなくなって欲しかったように思っていたはずの)熱い日差しが心地良くなります。
楕円形に変身した長方形ビニール・プール横にiPhoneセットを置き、moumoonの「HAPPY UNBIRTHDAY」をかけて、心地良いサビのリズムを聴いてます。水面に潜ると、音楽は聞こえなくなって、水の中にある水の音だけが、自分の耳と頭の中に響きます。そして、水面から頭を上げると、耳に詰まった水の壁の向こうから、ドラムとベースが奏でるリズムが出迎えてくれるのです。
とびきり、はちゃめちゃで行こう。
ちょっとのスペシャルが大事よ。
しなかったことを、してみよう。
お腹抱えて、笑っていよう。
いい日でも、そうでもない日も。
364日の、毎日スペシャルな日常、
いまは、今しかもうないんだよ。
こうなったら、どんな時も、
364日を、毎日祝い続けるよ。
moumoon "HAPPY UNBIRTHDAY"
2011-07-09[n年前へ]
■好きなビールができたなら
日本のクラフトビア(地ビール)マガジン、THE JAPAN BEER TIMES SPRING '11の SCRAWLINGS(THE MAILBOX)から。
Personaly, we think that if you like a beer, you should keep drinking it and recommending it to friends. Maybe that's the best award a brewer could want.
個人的には、もし好きなビールができたなら、それを飲み続けるべきだと思いますし、友人に勧め続けるべきだと思います。もしかしたら、それこそが醸造所が最も望み・願う賞なのかもしれません。
2011-07-03[n年前へ]
■「作れなければ、わかったとは言えないぜ」
アラン・ケイ(Alan Kay)が、ダイナミック・メディア(メタメディア)機能を備えた「本」のようなデバイスということからダイナブック (Dynabook) と名付けた理想のパーソナル・コンピュータ(デバイス)を提案したのは、1972年、“A Personal Computer for Children of All Ages”という文章の中でした。
文章冒頭に、Cesare Paveseのこんな一文が掲げられています。
“To know the world one must construct it.“
「世界ってのは、おまえが実際に作ってみないとわかんないもんだぜ」というチェーザレ・パヴェーゼの「世界」に関する言葉は、アラン・ケイの有名な「未来」に関する言葉、未来を「どうなる・こうなる」なんて予想することに時間を使うくらいなら、「作っちまえ!」という啖呵(たんか)を思い起こさせます。
“The best way to predict the future is to invent it.”
「作ってみなけりゃ、わかったとは言えないぜ」「わからないなら、作っちまえよ」…ノートPCを買うたび、そんな一文を白いマジックペンでノートPCの天板に走り書きするのです。そんな魔法使いの呪文を書き込んだ途端、その呪文が手に持つノートPCを理想のノートPC・ダイナブックへと変えてくれるように感じます。
”作ることもできない=わかっていない”コメンテーターばかりが増えるこの時代、そんなコメンテーターなんか足先で蹴飛ばしちまえ、実際に何かを作り出すことができない自分なんて蹴飛ばされちまえ、そんなことをいつも思います。
そして、ずっと走り続ける人(たち)を思い起こし、心から恋しく・愛しく・尊敬するのです。
2011-07-02[n年前へ]
■七夕の夜、いつでも「雲の上は晴れている」
磯野貴理子・松居直美・森尾由美の3人が「はやく起きた朝は」の中でしていた、七月七日、「七夕の夜に気象統計データ上は晴れることが少ない」という話題から。「眺め方」次第で目の前の世界が姿を変える好例。
松居直美:私思うんだけどさぁ、(織姫と彦星は)雲に隠れて二人きりで誰にも邪魔されずに会ってるんじゃないかなぁ。
森尾由美:そうだよね。一年に一度しか会えないんだもん、二人だけで会いたいに決まってるじゃない?
磯野貴理子:そうか。雲の上は晴れているんだもんね。絶対、そうだよ。
2011-06-27[n年前へ]
■肌の写真から皮膚癌の可能性を判断するiPhoneアプリSkin Scan
肌の写真から皮膚癌の可能性を判断するiPhoneアプリSkin Scan
このアプリはユーザの皮膚のシミの写真を撮り、特殊なアルゴリズムを使って、人間の皮膚にあるフラクタル状の形を探す(よく見ると、健康な肌なら小さな三角形がたくさん見えるはず)。それからアプリは、シミの発達の仕方が正常かどうかを計算する。もしかして、癌の可能性のあるメラノーマが発達中かもしれない。
このアプリはユーザの位置を尋ねて、その地域の皮膚の健康度も地図入りで教えてくれる。このアプリが持つ意味は、なかなか興味深い。究極的には世界の各国各地の、皮膚癌の状況を教えてくれるかもしれないのだ。
2011-06-23[n年前へ]
■あとひとつだけ(Just one more thing.)
「あとひとつだけ(Just one more thing.)」を繰り返す刑事コロンボ、ピーター・フォーク死去。
Just one more thing.
2011-06-22[n年前へ]
■技術や科学は「目的」ではありません。けれど、それは有力な「道具」です。
技術や科学は「目的」ではありません。それは単なる道具に過ぎない…と書くと、多くの方々の意志を(一見)否定してしまうようですが、それは、少なくとも「目的」ではありません。それは、目的を実現できるかもしれない『有力な道具」に過ぎません。
どんな状況だったか忘れてしまいましたが、何かの文化・技術に関する未来予想図をどこかの誰かに聴きに伺いました。
…その時、強く感じたことは、「技術や科学」を(これから形作られるだろう)歴史の中で「未来はこうあるべきだ」と位置づけ・考えることができる人は、これから人が進むべき未来、人の未来を幸せにする「文化」という「力」を備えている、ということでした。…そういうことを今更ながらに感じさせるほと、そういう「力」ならぬ「意識」を備えている人は少ないのです。
技術や科学は「目的」ではありません。そんなことは、100人が100人知っています。本当の「目的」は人(やそれに付随するもの)が幸せになる未来です。そんな未来を実現するための「何らかの力」が目的を達するための道具です。
技術や科学は「目的」ではありませんが、未来はこうあるべきだという目的、人が進むべき未来・人の未来」を幸せにすることができる有力な道具です。これから人が進むべき未来、人の未来を幸せにする「向き=ベクトル」を作るのは、「未来はこうあるべきだ」という意志と「何かを実現できる」道具の掛け合わせです。
技術や科学は「目的」ではありません。けれど、人が進むべき未来・人の未来」を幸せにするという目的を作り出すことができる「有力な道具」は、人が作り上げたそんな技術や科学です。
2011-06-19[n年前へ]
■あなたの前にある「可能性」
すべてのページの 「右上あたり」には「n年前へ」というリンクがあります。これは、「その記事」が書かれた同じ日に書かれた過去や未来の記事へのリンクです。
私は、n年の過去を眺めれば、n年の未来を眺めることができると思っています。そして、「n年前」という言葉の中にある、「前」という語句をずっとうまく消化できないままでいます。…その言葉が指す「前」が2011年より以前にあるのか、それとも以降にあるのか…それは今だにわかりません。だから、「n年前へ」という言葉を、他の表現に置換できないままに、今に至ります。
子供たちが学んでいく姿が見えます。夢が現実になっていくのが見えます。私たちには見えます。小さな彼らの、大きな夢が。あなたの中にある無限の可能性が見えます。
We see your potential.
「ポテンシャルって何?」とたまに訊かれる。「すぐには見えるものじゃないけれども、何かが潜在的に持っている力、みたいな感じ」と答えることが多いような気がする。…「今は見えないかもしれないもの、だけど、あなたが持っている可能性と未来」が見える、そんなコマーシャル。
1人のお母さんの背中のたなびくマントや、ギターを弾く青年をいつかとりまく大観衆や、そして、年老いたウェイトレスが近い未来に大学を卒業していく姿を、そんな景色を眺めてみることが気持ち良い。
人の可能性や能力は無限にあるの。だけど、人には有限の時間しかないの。これって、面白いパラドクスだと思わない?
J.P.ホーガン
悪い解の近傍に陥らないように広範に探索すればずっと良い解が見つかるはず....。
"n年目前の"「集中化と多様化」から
2011-06-14[n年前へ]
■「もの作り」を「売り」にしてきた日本
「仙台単身赴任生活 2011年6月13日」から。
高度成長期以来、日本は対外的には「もの作り」を売り物にしてきたけど、実は苦手で下手なのかもしれないと僕は思っている。そんなことより日本はアニメみたいな日本の個性を発揮できる分野に集中した方がいいかもしれないと、ふと思った。
それは、僕のこれまでの人生を否定することになるんだけど…