hirax.net::Logos

2011-06-12[n年前へ]

虚実の谷間にさまようのは「男心のコンプレックス」 

 グラビアアイドルの谷間の向こうを眺めれば、実の世界と虚の世界、そして、それらが複雑に混じり合う複雑怪奇な複素平面が見えてくる。その巨乳ならぬ虚乳の谷間、虚実の谷間にさまようのは「男心のコンプレックス」虚実の谷間にさまようのは「男心のコンプレックス」という的確な言葉。

 RealとImaginaryの谷間で、男心のビジョンは常にComplexを抱えて、虚実の世界に揺れ動く。

 明治から昭和の始めに生きた寺田寅彦も、もしかしたら、そんな男心の「コンプレックス」にさいなまされていたのだろうか…。

 俳諧で「虚実」ということがしばしば論ぜられる。数学で、実数と虚数とをXとYとの軸にとって二次元の量の世界を組み立てる。虚数だけでも、実数だけでも、現わされるものはただ「線」の世界である。二つを結ぶ事によって、始めて無限な「面」の世界が広がる。

寺田寅彦 「無題六十四」

2011-06-07[n年前へ]

「終わりのない、やり場のない怒りさえ」 

 こんな歌を歌うことができるなら、そのためだけにでも違う性別と違う声帯を持って、生まれて来たくなる"Dreams Come True"「何度でも」

何度でも、何度でも、何度でも。
悲しみに支配させて、ただ潰されるのなら。
何度でも、何度でも、何度でも、立ち上がり呼ぶよ。

悔しくて、苦しくて、
がんばっても、どうしようもない時も。

落ち込んで、やる気ももう底ついて、
がんばれない時も、きみを思い出すよ。
一万回駄目で、かっこ悪くても、
一万一回目は、何か変わるかもしれない。

終わりのない、やり場のない怒りさえ。
もどかしく、抱きながら。
…喘ぎ嘆きながら、自分と戦ってみるよ。
一万回駄目で、ヘトヘトになっても、
一万一回目は 何か 変わるかもしれない。
…明日が、その一万一回目かもしれない。

2011-06-05[n年前へ]

適切な判断力と合理的な意思決定の力 

 広瀬弘忠「人はなぜ逃げおくれるのか ―災害の心理学

 本当に恐いのは、パニックそのものよりも、パニックに対する過度の恐れである。パニックはまれにしか起こらないが、パニック恐怖症は私たちの心の中に常駐していて、災害リスクに対処する際に、適切な判断力と合理的な意思決定の力を損なうからである。
 災害にパニックがつきものだという類のステレオタイプは、災害時の人間行動を理解する上からも正しくない。

 「人は感情的に動く(だから論理的に考えるように気をつけなければいけない)」と「考える」人の中にも、そこに至るまでに獲得してした感情やバイアスが(当然のごとく)あるでしょうし、感情的に動くかのように見える人の中には、実は自然で滑らかなロジックがあったりします。

 その人が語る言葉をきちんと聞こうとするならば、その人の「価値観」を捉えること・その価値観を支えるバイアスを見落とさず眺めることが大切かと思います。

2011-05-29[n年前へ]

「旅」という言葉を「人生」と置き換えて読んでみる 

 「”一周とか縦断とか”の旅はなんだかちょっと、人をわくわくさせます」というワクワクさせるアジテーションから始まる「野宿野郎」(急いでつくった)3号を読んでいると、村上春樹の言葉が差し込まれていました。

無目的にただぶらぶら旅してまわるのも、 もちろん楽しいけれど、経験的に言って、 ある程度そういう目的みたいなものがあったほうが、 旅行はうまく運ぶことが多い。

村上春樹『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

 よく、人生を「旅」に例えることがあるように思います。「人生という旅」といったフレーズを使うことも多いように思います。

 人生が「一種の旅」であるならば「旅全般について成り立つことは、人生についても成り立つ」のかもしれません。

 たとえば、村上春樹の言葉を、「旅」を「人生」と置き換えて読むのなら、それはこんな具合になります。

無目的な人生も楽しいけれど、経験的に言って、
ある程度目的みたいなものがあったほうが、
人生はうまく運ぶことが多い。

 「いい旅のためのガイドブック」はたくさんあります。もしかしたら、そんな旅のガイドブックを、その中にある「旅」という言葉を「人生」と置き換えつつ読んでみれば、その奥深さが見えてくるかもしれません。何しろ、そのタイトルは「いい人生のためのガイドブック」というように置き換えることができるからです。

 最後に、「アジアからイギリスのロンドンまで、乗合いバスに乗っていくこと」を目的として始めた旅について書いた沢木耕太郎『深夜特急』、その最初に書かれている言葉を書き留めてみます。酔狂なにも思える目的に向かい、時間と力をかけ続ける旅を読むと、無性にワクワクさせられます。

 人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ。

沢木耕太郎『深夜特急』
 しとしと雨が続く梅雨の季節には、紀行本や旅行ガイドブックを読みつつ、無目的にぶらぶらとする魅力、目的を持って歩く意味に思いを馳せてみるのも、一興かもしれません。

2011-05-28[n年前へ]

「弾性」と「塑性」と「ヤング率」 

 至言を読みつつ、ふと、考えました。

 おっぱいを塑性域に至るまでどうこうしようというのが間違っているのだ。大事に扱いたまえ。

 弾性域の世界だけを見るものが弾性ならぬ男性であって、時間を経る中で塑性と共存していくのが男性ならぬ女性なのかもしれません。…しかし、長い時間が弾性域から塑性域に至る歴史を作るなら、弾性ならぬ男性も、その塑性域と共に歩く歴史を持つこともあるように思います。

 そんな考えが頭に浮かんだ直後、こんな言葉も思い出しました。

 こんなの作るくらいなら、男の人のヤング率でも計算しなさいよ。

オッパイ星人の力学 胸のヤング率 編

2011-05-27[n年前へ]

好きなことをやってない奴の顔は歪んでる。 

 六角橋商店街の闇市で買った(「野宿野郎」のオマケでもらった)「失踪日記(吾妻ひでお)」から。

好きなことをやってない奴の顔は歪んでる。

山下洋輔

2011-05-26[n年前へ]

立って見下ろせないとわからない”絶妙に谷間が見える仕掛け” 

 「本と酒と俺」「路上で本を売る」から。

 あと意外にうちらの店が盛況だったのは、路上に立つ男性客を魅惑する、胸を大きく開けた(野宿野郎編集長)かとうさんのコスチュームに要因があったという噂もあります。
 (「恋と童貞」の)小野さんは「あの胸で8割方お客が来ました」と頬を紅潮させて断言していた・・。
 ・・実際に道に立ってかとうさんをみて俺は驚愕したのだったが、(立って見下ろせないとわからない”仕掛け”。絶妙に谷間がみえる)・・かとうちあきさん・・一生ついていきます・・。

 「みんな勝手に生きている。」から。

ちなみに上(右)の写真は歩行可能な寝袋(!?)を装着のかとうさん。素敵な写真です。人気出るのわかります。

 他の誰かの意見に依存せず、「自分が大好きなもの」を何よりの基準にした人を見ると、何だかとても魅力的ですね。

2011-05-24[n年前へ]

酒のなかに物語を読む。 

 横浜 六角橋商店街で買った「本と酒と俺」2010年1月号の裏表紙から。

酒をのみながら本を読む。
本のこと話しながら酒を飲む。
酒のなかに物語を読む。

2011-05-23[n年前へ]

「高尾」から「新宿」まで歩く中央線寝袋の旅!? 

 横浜 六角橋商店街の闇市で、ミニコミ誌を大人買いしました。狭い路地で地面に並べられた本の中から買ったのは、「本と酒と俺」「恋と童貞」「野宿野郎」という三種の神器ならぬ、3つのミニコミ誌でした。

 西八王子駅は(「野宿野郎」の)編集長の青春だった。学生時代をここに近いキャンパスで過ごした彼女は…

 六角橋商店街の闇市では、ただ「ミニコミ誌を買った」というだけではありませんでした。そのミニコミ誌の中の一冊、「野宿野郎」というものに至っては「ここにある全巻下さい」という究極の大人買いをしてしまったのです。

 日野駅は少し胸が痛くなる場所だった。

 なぜ、そんな大人買いをしてしまったかといえば、…その「野宿野郎」は小さな文字でたくさんのことがみっちり書き込まれていて、内容の「密度」が限りなく高いように思われたからです。絶対、「失敗した、と思わない」確信が持てたからです。

 立川駅で休憩をとることにした。

 その予想は合っていて、3号の「山手線始発から終電まで20周」は心躍らされ・その無意味さにワクワクさせらたり、頁の隙間に書かれた「小説の引用」に魅入られたり、あるいは、その全体を貫く無鉄砲さに憧れたりさせられました。

 武蔵境駅を過ぎ、三鷹駅前の陸橋が見えてみた。

 今日、感動したのは、野宿野郎がウォーキングが趣味な一般人(?)を惑わして、「高尾」から「新宿」まで、寝袋をまといながら歩く(たまに野宿しつつ)旅をする、という挑戦です。なぜ感動したかと言うと、日常眺める社会と、少し外れた視界から見た世界が、実に自然にシェイクされていたからです。

 こんな「世界」を紡ぎ続ける人たちは、一体どんな無限大のパワーを持ち続けているのだろう?と、思います。もしかしたら、闇市に並べた本を前に路上に溶け込んでいた人が、そんな本を作る人だったのだろうか、とも考えます。そして、その存在感に圧倒されたからこそ、財布を逆さにして「大人買い」をしたに違いないと考えます。

 中央線っていうからには、東京駅が始発だったりしませんかね。

 よく、文明から離れた場所には貴重なものが残っている・価値観のモノサシが残っている、と聴くように思います。…だとしたら、ミニコミ誌の作り手はそんな「貴重な未来まで残り続けるガラパゴス諸島」だったりするのかもしれません。

 えっ、わたし(中央線って)新宿が始発だとばかり思っていました。早く言って下さいよ。これから東京まで歩きましょう!
 いやです。

2011-05-21[n年前へ]

「山手線20周の旅」を支える「京浜東北線快速技」 

 六角橋商店街の闇市で買った「野宿野郎」というミニコミ誌(急いでつくった)3号の「山手線始発から終電まで20周」から。鉄分100パーセントな、鉄郎・鉄子にはたまらないエピソード。

 山手線とは都心にある環状線の路線である。一周約1時間29駅、距離は35km。環状のために、乗ったら自発駅に降りない限りぐるぐる回り続けるのだ。誰が考えたか知らないが、始発から終電まで乗り続けるとどうやら20周できるらしい。…(丸一日かけた)全移動距離700km、実際の移動距離は0kmの旅。
 (トイレに行きたくなったら)役立つ先人の知恵が京浜東北線快速技だ。京浜東北線は山手線と併走するくせに、駅をいくつか抜かして走るナイスな路線である。田端辺りで山手線を降り・階段を駆け上がり用を足す。そして再び階段を駆け下り今度は京浜東北線に飛び乗るのだ。そうすると東京辺りで元の山手線の車両まで追いつけるという寸法だ。

 「人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実を極めることもなく、…まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかしおよそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ」という「深夜特急」で沢木耕太郎が書くアジテーションにワクワクさせられる人、そんな人は「全移動距離700km、実際の移動距離は0kmの旅」に魅入られると思います。