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2011-05-19[n年前へ]

潮風に吹かれつつ聴くDef Tech"My way" 

 横浜に行き、日ノ出町近くの図書館で本を探した後、伊勢佐木町を通り寿町に行きました。昼酒が普通に満ちている一角に行くと、亜熱帯の熱く湿気を帯びた空気を思いだし、何だか少し切なくなります。

 元町中華街の中華な門を抜けて、東京湾に臨む山下公園から赤レンガ倉庫横に向かうと、Def Techのミニライブが始まるという掲示がされていました。

 彼が歌う"My Way"、繰り返し口ずさまれる"My way, my way, my way"というフレーズが、日本語で「前へ、前へ、前へ」と響くように思わせる"My way"を、ずっと聴きたかったので、海沿いの横浜港新検潮所から"My way"のステージを、これまた切ない心地になりながら眺めます。

"Belive it my way" are some words to live by.
No matter how you feelin'even if you wanna cry.
It don't matter what you say gotsta do it my way.
Belive my way my way my way.
   

 歌を聴きながらふと海側を眺めれば、そこには潮風に吹かれ・発電を行う三本の白い羽が回転しています。…そういえば、Def Techの"My Way"を知ったのは、風力発電をモチーフにしたヨコハマタイヤのCMをサンノゼで眺めたからだったような気がします。横浜港の海の中に立つ風力発電塔を眺めつつ、海辺に響くDef Techの歌を聴きながら、ふとあの頃のことを思い出します。そして、なぜか切ない心地に襲われます。

 夜、レトロ感溢れる六角橋商店街の闇市に行き、買った本の中に「消えた横浜娼婦たち 港のマリーの時代を巡って 」があった。「マリー」「メリー」「マリン」といった名前を年配者は区別しない傾向がある、という指摘を面白く読みつつ、歌謡曲「五番街のマリーへ」を思い出す。

五番街で住んだ頃は、長い髪をしてた。
五番街は近いけれど、とても遠いところ

2011-05-18[n年前へ]

「因果関係」という作用を与える(瓜二つの)「物語と科学」 

 無料で購読できる最高のグラフ誌「GRAPHICATION」 から、池内了の「子どもの遊びにおける物語性と科学性」を読みました。冒頭のこんなフレーズを読みながら、少し首をかしげてしまいました。

 幼児期から小学校までの子どもが好きなものは物語と科学(理科)だろう。この二つは一見すると無関係なようだが、実は重要な共通点がある。想像力を刺激するという点だ。

 なぜ、首をかしげてしまったかと言えば、それは「物語と科学」は無関係どころか、とても「繋がりやすい」ものだ、という印象があったからです。科学も物語も、そのどちらもが「因果関係を与えてくれる」瓜二つの作用を持つものだという意識があったので、「一見すると無関係」という言葉に違和感を感じてしまったわけです。

 「普通、人間のいちばん好きな考え方は因果関係です」と言うのは心理学者の河合隼雄の言葉です。そして「人は因果関係を納得しやすい。というか、因果がないと、物事の関係性を納得しにくい生き物なんだよね、人って」と書いたのは、小説家の新井素子です。

 だからこそ、「(人の心や頭を)納得させる因果関係」や「”こうあってほしい世界観”や”自分が欲しがっている魅力的な(適度な理屈・ロジックをまとう)結論”」を与えてくれる(ように思わせる)疑似科学という物語は人を惹きつけるのです。

 僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
 そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。

小島寛之

 科学も物語も、そのどちらもが「世界」を描いてるように見える巻物です。「因果関係」という作用・納得を与える(かのように見える)瓜二つの存在です。

2011-05-17[n年前へ]

「児玉清」と「25人の言葉」 

 児玉清が25人の作家にインタビューした児玉清の「あの作家に会いたい」 から。

 才能を競い合える場所まで行けるのは努力した人間だけです。

夢枕 獏
 そこまでの努力をしないで、才能がある・ないと言っているのはつまらない話ですよね。

児玉 清

 実際の社会は、自分のなりたいものになれなかった人が大半でしょう?

角田光代
 俳句とか数式とか、型の中に静かに収まっている、すべてを削ぎ落とした一行こそが、実は最も美しく、最も多くを物語っているのかもしれません。

小川洋子
 ずいぶん前に「愛は勝つ」という歌が流行(はや)りましたが、この世の中は往々にして愛は勝たないということをみなが知っているから、あえてこの歌を聴く。

北村薫

 25人の残りの人、たとえば江國香織や万条目学や、川上弘美がどんなことを児玉清に伝えたかは、頁をめくればわかります。

2011-05-13[n年前へ]

持ち続ける「パンドラの福袋」 

 角田光代「福袋 (河出文庫) 」から。

 ひょっとしたら私たちはだれも、福袋を持たされてこの世に出てくるのではないか。福袋には、生まれ落ちて以降味わうことになるすべてが入っている。希望も絶望も、よろこびも苦悩も、笑い声もおさえた泣き声も、愛する気持ちも憎む気持ちもぜんぶ入っている。「福」と袋に書いてあるからってすべてが福とはかぎらない。袋の中身はときに、期待していたものとぜんぜん違う。…ほかの袋を選べばよかったと思ったりもする。それなのに私達は袋の中身を捨てることができない。

角田光代「福袋」
 角田さんの小説は人生を手ばなしに肯定しない、否定もしない、あるがままの人生が描かれている。…私達は福袋の中身を選べない。捨てることもできない。…私たちにできるのは、味わうことだけだ。すべてを自分だけのものとして、一生かけて慈しみ、ひたすら愛でるのだ。

栗田有起「解説」

2011-05-12[n年前へ]

「いわき市民のチェーンメール」と「固有ベクトル 」 

 「いわき市民のチェーンメール

 2ヶ月近く前から、頻繁に流れていた「いわき市民のチェーンメール」を貼り付けてみます。このメール内容を転送する人たち、その人たちを動かしていたはずのものを踏まえた上で、こういった一連の言葉を眺めてみた方が良いような気がします。

 なぜか、「固有ベクトル」という言葉を思い出しました。線形変換を行っても変わらぬベクトルを「固有ベクトル」と呼ぶように、人それぞれが密かに持つ「固有ベクトル」があるように思います。…もちろん、ここでいう固有ベクトルは「ゼロベクトル」ではありません。変換がかけられた世界を眺め、ありとあらゆるベクトルが変わったように見えたとき、その世界の中で「変わらないベクトル」が透けて見えてきたとしたならば、それが「固有ベクトル」なのかもしれません。

 そういった各自が持つ固有ベクトルを眺めてみたならば、そこにはどんな空間が見えてくるものでしょうか?「いわき市民のチェーンメール」を眺めたとき、どのような固有部kとるが見えてくるものでしょうか。

2011-05-11[n年前へ]

「間違う」ための行動パターン 

 高野秀行「間違う力 オンリーワンの10か条 」の章立て、つまりは『「間違う」ための行動パターン』はこんな具合です。この行動パターンを10点満点で採点するならば、10ポイント満点中であなたは一体何ポイント獲得できることでしょうか?

  1. 他人のやらないことは無意味でもやる
  2. 長期スパンで物事を考えない
  3. 合理的に奇跡を狙う
  4. 他人の非常識な言い分を聞く
  5. 身近にあるものを無理矢理でも利用する
  6. 怪しい人にはついていく
  7. 過ぎたるは及ばざるよりずっといい
  8. 楽をするためには努力を惜しまない
  9. 奇襲に頼る
  10. 一流より二流をめざす

 この『「間違う」ための行動パターン』は実は意外にマトモです。合理的で、努力家で、戦略を考える堅実かつ"いわゆるひとつ"の「マトモな人」にも(一瞬)思えます。

 けれど、…よくよく眺めてみれば、肝心要(かんじんかなめ)の「評価関数」だけが、ちょっと標準からは外れているのかもしれません。他の人が手を出さない無意味なことを、(過ぎたる)過剰に目指す…それは少しアウトローで、その「評価関数」は誰しもが認める多数派ではないように感じられます。

 多くの場合、「多い」側には多くの人が押し寄せます。…だからこそ、数少ない「多くない側」「少ない側」を選ぶ人たちが、勝ち残ることがあるのだろうと思います。

2011-05-09[n年前へ]

「オリジナリティ」と「スピード」は確実に繋がっている 

 高野秀行「間違う力 オンリーワンの10か条 」の「一流より二流を目指す」を読んでいると、こんなフレーズに出会う。

 私の知る限り、ユニークなことをしている人ほど動きが早いのだ。オリジナリティとスピードはどこかで確実につながっているように思える。
 共通しているのは、そういう人は何かアイデアを思いつくと、興奮していても立ってもいられなくなることだろう。

 「この人いいなぁ、凄いなぁ」と感じるさせてくれる人を順を追って思い浮かべてみれば、その誰もが、「ユニークなことをしている人ほど動きが早い。オリジナリティとスピードはどこかで確実につながっている」という言葉を連想させるような人ばかりだ。たぶん、あの人たちはみな「間違う力」を獲得した人たちだったのだろう、と思う。

 この本の「おわりに」はこんな言葉で終わる。「ワクワクする毎日」を生む駆動力に思いを馳せれば、ワクワクしない毎日への予防薬になるかもしれない。

 正しいかどうかより面白いかどうかで決めること。他人がやっていない新しいことをやるのに、正しいかどうかなどわかるわけもない。そんなことを考えるより、自分がワクワクしているかどうか確かめることが先決だ。実際のところ、何をやるにもワクワクしているかどうかがいちばん肝心なのだ。

2011-05-07[n年前へ]

リバーシブルな「A×B×A」という「やおい」の評価演算子 

 「”受け”と”攻め”の表記順」というタイトルのYahoo知恵袋での質問から。

 腐女子の「受け」「攻め」の表記って、一般的には「A(攻)×B(受)」ですよね。けれど、最近は「A×B×A」という表記も見かけます。これは一体どういう関係なんでしょうか…?どっちが「受け」でどっちが「攻め」なのかわかりません。
 「A×Bも可能だし、B×Aも可能だ」ということです。一般的にリバ(リバーシブル)と呼ばれるものです。表記的に「前者の関係」の方がメインで扱われる傾向が多いように思います。
(例)
 ■「A×B×A」→A×Bメインで、B×Aも扱う
 ■「B×A×B」→B×Aメインで、A×Bも扱う
 …なるほど、方角の呼び方とよく似ているんですね。たとえば「東と北の間だけれど、どちらかと言えば東寄り」を「東北東」と呼ぶような感じでしょうか。面白いくらい、言葉は進化していくものなのですね。
「福田X小泉と小泉X福田は全然意味が違うのー」
 何が何だか訳がわからない。じゃぁ、何か?小泉X福田だと小泉純一郎が総理大臣で福田康夫が官房長官だけど、福田X小泉だと福田康夫が総理大臣で小泉純一郎が官房長官になるとでも言うのか?政治の世界では、言う順番で総理大臣が決まるとでも言うのか?
「そう。ただ、ちょっと政治の世界とは違う世界かも〜。政界じゃなくて、やおい界ではー」

「やおい」の評価演算子

 あなたの身の回りにある「関係」をリバなやおいの評価演算子で示すなら、どんな例を挙げられますか?

2011-05-06[n年前へ]

「情報」を聞くときにとるべき「姿勢」 

 太平洋戦争から第二次大戦後にかけて、…さまざまことを行った瀬島龍三が語る「内外部からの情報に対すべき姿勢」

  • ①大局(たいきょく)をつかむ
  • ②深く読み、深く聞き、よく叩く
  • ③「希望的観測」と「事実」を識別する
 これら3つのことを行うことができなかった過去を持っていても、私たちは同じことを繰り返してしまうのだろうか。

2011-05-04[n年前へ]

「人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまう」 

 加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』から。

 (アーネスト・メイは)こういう問いを抱きました。…アメリカのなかで最も頭脳明晰で優秀な補佐官たちが制作を立案していたはずだった。その彼らはなぜ泥沼にはまるような決断をしてしまったのか。
 …自らがこれから判断しなければならない問題を考える時…歴史のなかから類推例を必死に求めようとします。過去の人々はどうやっていたのだろうか、あのとき政府はどうやったのだろうか、と。しかし、その過去の歴史について、真実がすべて明らかになっているわけではなく、また人々が思い浮かべる過去の歴史の範囲はきわめて限定されてしまっている。人々は、自分がまず思いついた事例に囚われてしまうものなのだ。

 …これを逆にいえば、重要な決定を下す際に、結果的に正しい決定を下せる可能性が高い人というのは、広い範囲の過去の出来事が、真実に近い解釈に関連づけられて、より多く頭に入っている人、ということになります。