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2014-03-19[n年前へ]

「宇宙の始まりはどこまで見えたか? 137億年、宇宙の旅」 

 今週末に出るという父の本が郵便で届いた。頁をめくり興味を惹かれたのが、こんな一節など。

 アインシュタインは革新的な理論を生み出しながらも、基本は保守的な見方を貫くところがあったようです。アインシュタイン方程式から導かれるブラックホールの考えについても違和感を持って、そんなものが存在しないような論理が存在することを願っていたのです。

宇宙の始まりはどこまで見えたか? 137億年、宇宙の旅 (角川選書)
 宇宙は本当に熱的死に向かうのでしょうか。物理学者のルートヴィッヒ・ボルツマンは熱力学でたいへん重要な役割をした人ですが、宇宙の熱的死を悲観的に考えて自殺してしまったと言われます。ボルツマンには論的もいて精神的に追い詰められていたようなので、彼の死の責任を宇宙だけに負わせるのもどうかと思います。
 私たちの周りには、熱平衡にない現象がたくさん見られます。そもそも生きものたちは熱平衡とはおよそ違うでき方、生き方をしています。生きているということは、そもそも熱平衡とはおよそ逆の過程を作り出し、無理をしてがんばっているようです。そして死とともに熱平衡の状態に向かって行きます。

宇宙の始まりはどこまで見えたか? 137億年、宇宙の旅 (角川選書)

2014-03-10[n年前へ]

絶好調の時も不調の時も…人生は、意外にも平坦な所らしい。 

 ”絶好調の時も不調の時も同じように…”という言葉を読んで、太宰治「正義と微笑 」一節を連想する。

 夜、ヘレン・ケラー女史のラジオ放送を聞いた。梶に聞かせてやりたかった。…努力によって、口もきけるようになったし、秘書の言う事を聞きとれるようにもなったし、著述もできるようになって、ついには博士号を獲得したのだ。僕たちは、この婦人に無限の尊敬を払うのが本当であろう。
 真面目に努力していくだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らないことは、知らないと言おう。できないことは、できないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦な所らしい。
これから歩む道のりが、
花が咲き香る長閑(のどか)になれ、
とは願わない。
足か弱く、険しい山路は登り難くとも、
楽しき調べを、絶えず麓で歌うなら、
聴き勇気づけられる人も、いるやもしれない。

 言葉のリズムや、可能性というか未来に向かう明るさが溢れる太宰治「正義と微笑 」は、万城目学あたりに、現代仮名遣いにして欲しい。

2014-02-27[n年前へ]

おっぱい好きとお尻好きは邂逅するべきだ!? 

  「女は尻だ。異論は認めない」という言葉を読みました。

 すべては尻であり、尻にある。美しさ、強さ、優しさを兼ね備えた、あらゆる魅力と本質の表象であり、かつ全人類の故郷であり桃源郷であり、世界でいちばん穏やかで不滅で争いのない場所である。君に、おっぱい山頂への征服欲があることは理解できる。だが、そこは四足から二足へ移行する際、成熟のバロメーターとして採用された代替品だ。
 で、(この文中にも示唆してありますが)「人類女性の胸が(授乳を行わない時期であっても)常時大きい理由は、直立二足歩行のせいでお尻が見えづらくなり、直立二足歩行で見えやすくなった胸の部分が”擬態として”お尻のような見かけで大きくなった”」という説を思い出しました。それが真実であるかどうかはさておき、右の画像を眺めると、お尻も胸の谷間もほぼ同じ「見え方」に思えます。

 つまりは、その説に従えば、お尻好きだという人も、おっぱい好きだという人も、つまりは全く同じ本能で動く同類だというわけです。おっぱい好きとお尻好きは邂逅するべきなのかも…。

2014-02-19[n年前へ]

0点と100点だけをとるのは簡単だ 

 「孤独と不安のレッスン (鴻上尚史)」

 『0点と100点だけ』とるのは簡単なんだよ。 大切なのは、出だしでトチって、ガタガタになりそうな所でなんとか立ち直して、100点にはならないけれど、48点とかを取ることなんだ。

0点と100点だけをとるのは簡単

2014-02-14[n年前へ]

"Pursuer" 

 世界各地の人たちその1日を描く"GLOBAL VISION"の"Pursuer"が良かった。

 何かにこだわり、何かをとことん突き詰める為、研究に研究を重ね、学術的に解明するのが学者。彼らは一体何に興味を持ち、何に魅かれてその研究に没頭しているのでしょうか?カメルーン、オーストラリア、ベネズエラの学者を訪ねます。
 下に貼り付けた写真は、最後の「(あなたが研究をする中で)最も大切なものは?」という質問に答えたもの。

 今年は、そういう人たちを訪ね・歩いてみることにしよう。






2014-01-31[n年前へ]

孟子曰く、大人とはその赤子の心を… 

 台北の中心街を歩いてみても、旧正月(春節) で、ほとんど人とすれ違うこともありません(一番出会うのはレンタルバイクのU-bikeに乗ってる人たちだ)。そんな通りの一角で、「Legoを使った模型」が描かれたポスターを見かけて、思わず入ってしまったのがミニチュアハウスやミニチュアな景色が集められた「袖珍博物館」です。

 袖珍博物館に展示されていたものたちが結構面白くて、色んな部屋を眺めた後に、最後の展示部屋の入り口上部を見上げると、こんな言葉が掲げてありました。

孟子曰、大人者不失其亦子之心者也。
(孟子曰く、大人とはその赤子の心を失わざる者なり)

孟子曰く、大人とはその赤子の心を…






2014-01-23[n年前へ]

「明日、ママがいない」 

 鶴見川沿いを自転車に乗って走っていると、確かどこかで眺めた景色に出会う。…そうだ、これは「明日、ママがいない」で主人公たちが歩いている道だ。
 そんなロケ現場に立ってみると、TV画面中では「小さな子役と遠景がの大きさが大きさが、ずいぶん同じように描かれていた」ことに気づかされる。…たとえば、DNPや第一コンクリートといった名前が描かれたビルや…遠くの富士山とか、そんな遠景とこどもたちとが同じような大きさで描かれていたことのだろうか…と思う。あれは、ずいぶん焦点距離の長いレンズで遠くからズームで撮影していたのだろうか。

「明日、ママがいない」






2014-01-13[n年前へ]

センスって結局のところ”何手先まで読めるか”ということだと思う。 

 今日、何だかとても納得させられてしまった、こんなひとこと。

 センスって、結局のところ、”何手先まで読めるか”ということなんだと思う。

2014-01-11[n年前へ]

あの時見た世界を今の私が一緒に共有してみたら…。 

 十歳の時に東京からイギリスに越して暮らしてる…そんな女性写真家が、小さい頃の自分が写る写真に一緒に写ってみたならば、つまり、同じ場所にもう一度行き、同じように写真を撮って、同じような旅をして…同じ写真に写ってみたらという"imagine finding me"を見ると、時間の中を走る列車に乗り込んだドラマを見たような気になります。

 Her series Imagine Finding Me consists of double self-portraits, with images of her present self beside her past self in various places she has visited. As Otsuka says: “The digital process becomes a tool, almost like a time machine, as I’m embarking on the journey to where I once belonged and at the same time becoming a tourist in my own history.”

Chino Otsuka

 そんな郷愁を起こさせる写真を見ていると、やはり、合成具合が不自然に感じる写真も混じっています。それは、たとえば、写真に写る人を360°の周囲から照らす光の具合や影の具合だったりします。そこで、こんな風に考えます。もしも、360°周囲から自分を照らす光(や風景)を記録していたならば、未来の自分や他の誰かを、今の自分を包む世界や光の中に連れ込むことができるかもしれない…。

 だから、たとえば、RICOH THETA 360°(全天球イメージ撮影デバイス) で周囲360°の全方向を記録する写真を撮っていたならば、そして、そんな風景を360°のドームに映した中で、いつかも一度写真を撮ったならば…人の背景には「かつて見た風景」が映り、そしてドーム中央に立つ人に対しては、かつて周りから浴びたのと同じ光が当たっていて…いつか見た世界と同じ世界を、違ういつかの誰かが一緒に共有することができるかもしれない…と考えたりします。(参考:THETAで撮った写真を天球ドームに映したところをTHETAで撮った。

 長方形のフレーム中だけでなく、全方向・全天球すべてにいる光や景色を(画素数が少なかったりやダイナミックレンジが足りなかったりしても)記録しておきさえすれば、未来の何時かに色んなものを眺めることができるのかもしれない…と思います。カメラマンが見た風景や、それとは180°逆方向にある、写真の中からカメラを眺めていた人が見た景色や、そんな人たちすべてを包む光や世界をもう一度眺めることができたなら…少し貴重な体験をすることができるかもしれません。

2014-01-04[n年前へ]

"Vision"という言葉が見る世界は、多分、こんな世界なんだろうと思う。 

 2004年から2005年の頃、"We see your potential."と謳うMicrosoftのCMが大好きだった

 子供達が学んでいく姿が見えます。夢が現実になっていくのが見えます。私たちには見えます。小さな彼らの、大きな夢が。あなたの中にある無限の可能性が見えます。

We see...Your Potential. Our Passion.

 …10年経った2014年の今、それと良く似た”We see your dreams, and give shapes to your dreams!”というKonica Minolra の 美しいCM を見る。すぐには見えるものじゃなかったとしても、何かが潜在的に持っている力=” Potential”を見通すことができる"Vision"という言葉が見る景色は、多分、こんな世界なんだろうと思う。

 「有名な歌手になりたい」「立派な警察官になりたい」 こどもたちが、夢をはっきりと思い描けたら? ずっと忘れずにいられるとしたら? それはきっと彼らにとって夢の実現へと向かう、大切な一歩になるのではないでしょうか。

Dream Printer

 こどもたちが願った夢を、あるいは可能性や潜在的な力を、すべて形あるものにするのは本人だけど、それらを描き出す機械があったとしら、そんな機械の中には多分かなり濃度の高い”Visionの素”が目一杯詰まっているのだろう…と思う。