2014-01-01[n年前へ]
■「変わらない」ための「努力」
イチローが語る「努力」という定義(の変化)を読みました。かつては「自然に当たり前にしていたこと」だけど、それを「意識的にしなければならなくて、それをしなければ、自分が自分でなくなってしまうこと」それこそが努力というものだという定義が、とても確かなものに感じました。
第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、という状態になくてはならないのではないか。
2013年「春」
試合前にするストレッチだったり、いろんな準備がありますよね。それを、なんとなくこう、やりたくない瞬間が現れるんですよ。でも、それをすると、僕を支えてきた僕が崩壊してしまう。と、想像したので。そこだけは続けたということですよね。…これが、努力なんじゃないかなと思いますね。
2013年「冬」
「(年齢の上下は全く関係無く)すごいなと思う尊敬する人はたくさんいて、けれど十年近く経った頃、…そんな人たちの何割か「あぁ、つまんない人に変わっちゃったな」と思うことがあります。もしかしたら、それはイチロー言うところの「努力」をしたか・しなかったか…ということが分水嶺になっていたのかもしれない…と考えます。
若い人は(たいがい)輝いてる。七転八倒で、七転び八起きで…何というか、下っ端ーずでも何であっても、主体的で・可能性に満ちてる(…十年くらい後に「つまんない人に変わっちゃったな」と思うこともあるけど)。何はともあれ、可能性に乾杯だ!
「大事なこと」や「可能性」に乾杯だ!
もう十年近く前、「変わらないということは、変わるということ」という言葉にひどく印象づけられました。あの言葉は、とても非情で正確な言葉だったのだろうとも思いますし、それと同時に「変わり続けていると、その中に変わらないものが見えてくるのかもしれない」とも思います(参考:続「変わらないということは、変わるということ」)。
「変わらない」でいるためには、「変わらない努力」が必要だ。「変わらない努力」というのは、結局のところ「変わる努力」だ。その人自身や状況といったものが変化している限りは、自分も変化していかないと、取り残されてしまう…という冷徹な言葉だ。
2014年の01月01日、今年最初の日記は『変わらないための努力』です。
2013-12-23[n年前へ]
■「大事なこと」や「可能性」に乾杯だ!
「陰気な男でいいですか?」「妄想力だけが頼り」という言葉で思い出す。今週の木曜、早稲田大学で飲んでいると、「大事な4つの力」という話を拝聴した。確か1つ目と2つ目は「気づく力」「妄想・想像する力」で、3つ目は「語る力」だった気がする。で、肝心要の4つ目を失念してしまった。まずい。
@hirax 大事なのに忘れるとな?!
とても単純だけど大事なことこそが、なぜか見失いがちでなかなか手に入らない…ってありがちだったりしますよね。> "ぼくたちずいぶん遠くまで青い鳥を探しに行ったけど… 本当はいつもここにいたんだ"
2014年のセンター試験企画「Look Back センター試験」が始まった。「来年1月で僕は53歳。僕にできることは18歳にも絶対できます」…という山田雅人さんの言葉を読んでみる。
若い人は(たいがい)輝いてる。七転八倒で、七転び八起きで…何というか、下っ端ーずでも何であっても、主体的で・可能性に満ちてる(…十年くらい後に「つまんない人に変わっちゃったな」と思うこともあるけど)。何はともあれ、可能性に乾杯だ!
Here's to us
Here's to love
All the times
That we messed up.
If they give you hell
Tell them to go fuck themselves!
2013-12-21[n年前へ]
■「夏や冬」や「終着駅や始発駅」
鈴木祥子「夏はどこへ行った」をヘッドホンで聴きながら、青春18切符を手にして、年末師走の負の日に、夏をどこかに探しに行ってみる。
列車のドアに 背中をつけて
あなたは 荷物にしゃがみこんでる。
…あの灯りが 僕の家だよ
次のホームで さよならを言うの。
「夏はどこへ行った」
僕らが降りた終着駅は
誰かの始発駅でもある。
青春18切符 2013年「冬」
2013-12-02[n年前へ]
■「どんなものを作るかで定まるコーディング・ルール」と「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかった!という衝撃の事実」
五線譜の情報圧縮や対称化・単純化といった感じの話題から、プログラミングのコーディングルールや、記譜法における臨時記号や調合の(歴史の中での)変化といった話を眺めました。で、紆余曲折を経た後に、今日初めて(アルツハイマーが進んでなければ)知った「平均律クラヴィーア曲集は平均律じゃなかったんだ!」という衝撃の事実。
そして、独自の「さまざまな記譜法」というあたりの話から連想したことは、岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」と「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節。
岩城宏之「楽譜の風景ー記譜法のディレッタンティズム」の方は、現代音楽の作曲家に対するこんな言葉。「自分の表現したいことを、能率よく、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えて欲しい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ」
そしてもう一方、「ご冗談でしょうファインマンさん」の"From Far Rockaway to MIT"の一節はこう。
"I realized then that if I'm going to talk to anybody else, I'll have to use the standard symbols, so I eventually gave up my own symbols."
人に何かを説明するときには、やっぱり標準の記号を使わなくてはならないことを悟り、それ以来自己流の記号を使うのはあきらめてしまった。
2013-10-23[n年前へ]
■「忘れっぽい人間のアイデンティティ」と「人生の記憶としての火傷跡」
どんどん細胞が入れ替わっているのに、なぜ中学生の時の火傷跡が消えないのか不思議でなりません。…保ってどうすんねん、そんなもん。
いえいえ、それも含めてのアイデンティティです。人間の脳味噌は忘却が得意なので、経験したことを歴史に刻むために、火傷跡は一生消えないようになっています。
人生のいいとこ取りしたような人ばかりになってしまったら、アイデンティティに意味は無くなります。だから、それでいいのです。
走り出したら、何か答が出るだろなんて、
俺もあてにはしてないさ。 してないさ。
男だったら、流れ弾のひとつやふたつ、
胸にいつでも刺さってる。刺さっている。
SHOGUN 「男達のメロディー」
2013-10-22[n年前へ]
■「引き寄せられ、そこで生み出された少しのズレ」が、個性や存在を作り出す。
「仙台単身赴任生活」の、「何かが集まった集合体」の存在を連想して、何だかとても考えさせられた一節。周りのものを引き寄せて、そこで生まれたズレや何かの勘違いが、さらにモノや人を集めて大きくなったり、ぶつかって反発してみたり、あるいは続いていたりする…なんて、世に多くあること=普遍的に多く生じる・一般性のあることなのかもしれない、と感じたりします。
台風がふたつ日本に近づいてる。台風って大きな低気圧なので合体してしまわないのか、と思うんだけど、台風はただ気圧が低いだけではなくて角運動量を持っている。…それぞれの台風が自分の角運動量を保存しようとするせいで…反発する方向の力になる…
台風の物質としての実体は空気だけど、それはどんどん入れ替わる。…空気が質量を持っていて吸い込まれる時に少しどっちかに寄ってしまうせいで角運動量を増やす方向になる。…台風のアイデンティティは、つまり物質的実体としての空気は入れ替わってるのに、27号だ28号だとまるで鉄人のように区別できるその根源は、気圧ではなく、角運動量だといえるのではないか。
2013-10-18[n年前へ]
■「会社の体質が、いつしか個人にしみついてしまう」
「売りたくない」マーケティング、「開発したくない」技術部、「契約したくない」法務部が組織をダメにする。「やらないこと」が最適解になってしまう日本の組織。
会社の体質が、いつしか個人にしみついてしまう、そんなことを良く感じます。
どうしたって、人は自分の限られた経験で世界を認識してしまうから、自分の周りの世界にもとづいた考え方になってしまうだろうと思います。…そんな「自分の周りの世界」と離れた見方をどうしたら持つことができるのだろう?と考えたりします。
2013-10-10[n年前へ]
■続 「短いスカート」が身体に悪影響を与えることが科学的に証明されました!?
「短いスカート」が身体に悪影響を与えることが科学的に証明されました!?を書きました。
…それにしても、私が中学の時代には、「長いスカート」が「不良・スケバン」の象徴・悪の象徴とされていました。それとは逆に、今の時代は「短いスカート」が悪とされている…というのは、何だか不思議な心地です。
2013-09-16[n年前へ]
■[今日見た景色] 台風が過ぎた後の夕暮れの空
夕刻ベランダに出ると、空が赤と青と緑と…そして漆黒が混じった微妙な色でとても綺麗だった。iPhone4で写真に撮ってみたけれど、その美しい色は全然写すことはできなかった。…けれど、そんな色をちゃんと撮ろうなんて考えることは多分間違いなんだろうと思う。
2013-09-01[n年前へ]
■[今日見た景色] 水面に映る景色が伝える表面形状
横須賀街道の磯子橋近くで川を眺めてみると、水面に映る電線の姿が水の表面形状を限りなくわかりやすく伝えてくれていることに気づきます。…そんなことを考えていると、小船が素早く通り抜け水面が掻き乱され…そして、水面が滑らかだったからこそ、(電線の映り込みで)表面形状がわかりやすかったことに気づかされます。