2011-11-23[n年前へ]
■「現実は正解・事実」で「現実に向かえない奴を馬鹿」という。
立川談志の「ことば」から。
現実は正解なんだ。…現実は事実だ。現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因がある。現状を認識して把握したら、処理すりゃいい。その行動を起こせない奴を、俺の基準で馬鹿という。
立川談志
酒が人間を駄目にするんじゃない。「人間はもともと駄目だ」ということを教えてくれるものだ。
立川談志
2011-11-18[n年前へ]
■「わたしが何を信じたいか」を書けばいんだ
角田光代「学問ノススメ」から、「対岸の彼女 」を書くに至るまでの「編集者の言葉」など。
今、世の中に残っている小説は、全部、希望を書いてる。だから、あなたも人にあなたの本を読まれたいと思うなら、「希望」を書きなさい。
わたしが何を信じてるかじゃなくて、
わたしが何を信じたいかを書けばいいんだって思って…
2011-11-02[n年前へ]
■(床から見上げた)天井は全部覚えている
生涯で5758試合を闘った(ジャイアント)馬場さんは、天井だけを見て、どこの地方の体育館かを言い当てることができたという。
「全国の体育館の正面からの写真を見せられてもわかりませんが、(床から見上げた)天井なら百発百中です。受け身の練習をするたび、投げ飛ばされるたび、嫌でも覚えてしまうわけです」
「繰り返し続けたこと」「痛みとともに見上げたもの」は忘れられないものです。あなたにとっての「(床から見上げた)天井」は何でしょうか。
2011-10-30[n年前へ]
■本来見てはならない夢を擬似的に見せる「もの」
加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』から。
ここで述べたかったことは、国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を擬似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れないとも限らないとの危惧であり教訓です。
2011-10-26[n年前へ]
■「戦隊と変態」「専門バカ」「腰巻きと取り巻き」「原子力とバクチ」など
最近書き留めた「走り書き」から。
ハロウィンで仮装をした人たちが街に溢れてる。「仮装」と言うより、プロのお仕事らしき「戦隊ヒーロー」を眺めていると、後ろで女性の声がした。『戦隊(せんたい)と変態(へんたい)って紙一重よね』……蜂の一刺しレベルの至言である。
戦隊(せんたい)と変態(へんたい)って紙一重
「専門家」は「専門」家だからこそ素晴らしく、つまりは、専門バカということに価値がある、と思うこともある。その人(集団)の状況・価値観・状況によって異なる「バランス・政治」の話を、「専門」の中に混ぜる人は専門家ではないように思われる。
もちろん、専門バカという言葉が示すように、全体を眺めてみれば「専門家」が言うことは多くの場合「的外れ」でもあるのだろう。
専門バカとバランス
「ジョブス伝記」の日本語版に腰巻き(帯)が付けられていることを良しとしない人が多いようだ。日本では帯を付けた方が本が売れるように思う。だから、これは実に適切なローカリゼーションであるように思う。
この話は、結局のところ「この本(伝記)」の目的が何なのかということであるこの"Steve Jobs" という本が、「自分(被写体)満足のためのナルスティックなプリクラ写真」であるなら、腰巻き(帯)を付けたことは(もし被写体がそれを望まないならば)非難されることだろう。
しかし、もしこの本が「Steve Jobsという人生を人に伝える」ことが目的であるならば、日本では「(本に)腰巻き(帯)をつけるべきだ」と思う。その方が、日本の書店では、数多くの人が本を手に取り・本を買い・その本を読むだろう、と私は考える。この「本の存在意義・目的」は何だろうか。
日本では普通ののこの本に対して「デザインうんぬん」と言う人たちの言葉の後ろには、どんなものが横たわっているのだろう?
「腰巻き」と「取り巻き」は少し似てる
国土が狭い日本では、原発は『はじけた時の「負け分」が大き過ぎる』のだろう、と思う。たとえて言うなら、賭け事では「資金量が勝負のほぼすべてを決める」ようなものだ。懐豊かであれば、少し負けても次のお金を積めさえすれば良いが、手持ち資金が少なければ、そういうわけにはいかない。一回でも負けた時点で、そこで「ゲーム」は終わる。
しかし、それと同時に、『懐が豊かでないからこそ、「賭け」たくなる』ということもあるだろう、と思う。だからこそ、年末ジャンボ宝くじを私たちは買い、原子力に夢を見たのだろう。『(エネルギー自給が)日本の夢だった。エネルギーに困らなければ、食料にも困らない』という言葉、「食料にも困らない」という言葉は戦後直後の日本を思い起こせば、実に切実な言葉である。
原子力とバクチ
2011-10-25[n年前へ]
■「同じタイプ」の選手は「要らない」
同じタイプの選手は要らない、同じタイプの選手ばかりでは勝てない、という話。from 「n年前へ」
極端に言えば同じタイプの選手は必要ありません。そのために12人がいるのです。
吉原知子
2011-10-20[n年前へ]
■「銀色チューブ」には「油で練り込んだ化学式」が詰まってる
短編連作小説集である、加納朋子の「掌の中の小鳥 」の冒頭「掌の中の小鳥」の前半に書かれている、雲雀(ヒバリ)の油絵に関するエピソードから。
あのとき君が描き出した色は、本当にきれいだったね。曖昧で、微妙な色彩だった。今まで見たどんな絵にも、あんな色はなかった。だけど、それも当然だった。君は絶対に混ぜ合わせちゃいけないとされる色ばかり選んで、あの絵を描いたんだ。
ウルトラ・マリーン(ケイ酸アルミナ・ナトリウム)とエメラルド・グリーン(酢酸亜ヒ酸銅)、クローム・グリーン(クローム酸鉛とフェロシアン化第二鉄)とカドミウム・イエロー(硫化カドミウム)なんて具合にね。
僕は考えたこともなかったよ。あの銀色のチューブの中身が、化学式を油で練り込んだものだなんてね。
2011-10-18[n年前へ]
■「技術」が作る「人の姿」
from 「n年前へ」
グーテンベルグ(印刷技術)は全ての人を読者に変えた。
ゼロックス(コピー機)は全ての人を出版者に変えた。
コンピュータは全ての人を書き手に変え、
インターネットは人をコメンテータにしてしまった。
コメント欄溢れる各種ツールを使っていると、
「コメントをつけるだけの人」になってしまいそうだ。
2011-10-16[n年前へ]
■『広い世界が持つ矛盾」や「役に立たない?役に立つ?」
今日の「n年前へ」から。
ひとこととで書くコメントは、非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。…それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、と思います。
今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。
朝日新聞社説
2011-10-14[n年前へ]
■「ローカリゼーション技術」は「相手」に合わせつつ「自分」を表す「コミニュケーション技術」
『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力 』を読んだ。本書を読んだきっかけと読んだ後に考えたことについてはまた別に書く。商品を「(地域・世代・時代といったさまざまなものに)適応させる」という「ローカライズ(時にはパーソナライズ)」するという本に見え、実は「コミュニケーション」を知るための本でもあった。「ローカリゼーション技術」は「相手」に合わせながら自分を表すコミニュケーション技術でもある。
質の高いフィードバックは、相手の期待度と近似値でこそ返ってくる。話が通じる相手であると見せないといけない。(中略)期待通りであることを演じないといけない。
ローカリゼーションは、相手のいわばミニマムの期待値をクリアすることなんです。「こういつ、俺たちのこと、何も分かっていない」とは思われないようにする。そうすると、(中略)質の高いフィードバックを得られるわけです。
しかし、「共感」を得るためのもっともユニバーサルなツールは、論理的なコンセプトであることを忘れてはいけない。語る相手の頭の中が見えるようなプレゼンに人は納得し、そこで獲得した「共感」は根強く印象に残る。
コミニュケーションの語源、communication = communis ( common ≒ 共通に)+ munitare(行き交うことができるようにする)というものを振り返りながら、この本を読むと「腹持ちするたくさんの具体例」と「私たち日本人に向けてわかりやすくローカライズされたロジック」で、たくさんの「見る(知る)力・理解する力・コミニュケーションする力」ことを手に入れることができる、かもしれない。