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2011-03-18[n年前へ]

「力を入れて、何かを動かせ」 

 物理学で言う「仕事」を頭に思い浮かべて欲しい。たとえば、それは「何かに力を加え、その何かが動いたとき、その力と動いた長さを掛け合わせたもの」といった具合だ。

 活躍するたくさんの人たち、そんな人たちに「仕事」についてインタビューしたものを2冊にわたって集められたのが「プロ論。 」だ。「プロ論。 」の中で語られる「仕事」を理解しようとするならば、きっと物理学でいう「仕事」という言葉を思い浮かべた方が正しい。200人近い人たちが語るのは、そんな「仕事」だ。

 何を選択するにしても、メリットもデメリットもある。となれば、自分で冷静に見極めるしかない。自分なりに勉強したり努力するしかない。もっとも危険なのは、人の意見やムードに振り回されて、安易な答えを求めてしまうことです。答えなんてどこにもないんですよ。自分の目で見て、自分で出した判断こそが、答えなんです。

しりあがり寿

 この本のタイトルともなっているプロフェッショナル-"professional"-の語源は、「目の前にいる人(たち)に話す」というという意味だ。目の前にいる人に話し、目の前にいる人を動かしていくのが、たぶん、プロフェッショナルなのだろう。

 プロフェッショナルと言えば、この本自体も、まさに「プロの仕事」だ。読んだ人間の心を確かに動かしてくれる。どの頁(ページ)にも、読む人にに力を加え、読者の心を動かす言葉に満ちあふれている。力を入れて何かを動かす人が、きっとプロフェッショナルなのだろう。

 この本に「いちゃもん」をつけるとしたら、作り手の名前が出ていないことだろう。この本を作った人たちが他に作った「仕事」を読みたくてたまらない。

2011-03-17[n年前へ]

「我々に必要な科学」 

 高木仁三郎(*)が「人間の顔をした科学 」中で、「火山を噴火させることで人を豊かにしよう」とする物語、岩手県花巻に暮らした宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」をひきつつ、そして宮沢賢治が書いた「我々はどんな方法で、我々に必要な科学を、我々のものにできるか」という言葉をひきつつ綴ったもの。

 「グスコーブドリの伝記」や「雨ニモマケズ」など、(宮沢)賢治との出会いが始まったころ、私自身は核化学の研究者として、死の灰(核実験による放射性降下物)による環境の放射能汚染という問題にぶつかり、どう取り組んでいいか悩んでいました。
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロ歩き。
…そういうものに私はなりたい。
 その時から二十数年経って、臨界事故に接して人びとがオロオロしているのに対して、私たちがこの視点から情報を発信したり、分析したりすることに意味があると思っているわけですが、私はこの確信はあながち間違いではなかったと痛感するわけです。


*高木 仁三郎:1938年群馬県生まれ。1961年東京大学理学部化学科卒。日本原子力事業NAIG総合研究所、東京大学原子核研究所助手、東京都立大学理学部助教授、マックス・プランク研究所研究員等を経て、1975年原子力資料情報室設立に参加。1987年原子力資料情報室代表(98年まで)。1998年高木学校設立を呼びかけ、校長に。2000年10月8日逝去。専攻は原子核化学(理学博士)。

2011-03-14[n年前へ]

二十世紀の科学的・合理的な文明国民の愛国心 

 寺田寅彦「天災と国防」から。

 人類が進歩するにしたがって、愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。
 砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのも、確かに尊い大和魂であるが、(中略)二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露には、もう少しちがった、もう少し合理的なやり方があるべきではないか、と思う。

(昭和九年十一月、経済往来)

2011-03-13[n年前へ]

「元気を出して」 

 ふと思い立ち、竹内まりやの「元気をだして」を聞いてみました。この曲のエンディングのコーラスは、たとえば下の動画でいうと3分21秒から1分30秒近くにわたり 薬師丸ひろ子・山下達郎・竹内まりや が声を重ねていくコーラスは、「人の声」の素晴らしさを感じさせ、音痴な私たちでも少し口を開け歌い出したくなるように思います。

人生は、あなたが思うほど、悪くない。
早く元気出して、あの笑顔を見せて。

2011-03-12[n年前へ]

人がただ祈る姿 

 「自然の力」と「人間の力」 (初出:2005年09月02日)から。

 洪水や地震や津波や噴火・・・といったさまざまを起こす自然の力が強いように、弱い人間もやはりそれでも強い、と私は思います。だから、少し時間が経てばニューオーリンズの街も活気を取り戻していくのだろうと信じます。

 そう願いながら、酷い状況の景色だけでなく、とても綺麗だったニューオーリンズの写真を眺めたくなりました。だから、今日はこんな写真を飾ってみました。

 一番最後に置いた、右の写真はニューオーリンズの中心、そのフレンチ・クオーターのさらに中心にあるセント・ルイス大聖堂の中で見た景色です。人がただ祈る、そんな姿です。

 ハリケーン「カトリーナ」がニューオーリンズを襲った直後の"Google Maps"が矢継ぎ早に見せる姿には、開発陣の悲しみとも怒りとも何とも表現しがたたい、けれど、何かに立ち向かおうとする意志を感じたような気がします。

 そんな人の意志もまた、活気を取り戻していくための力になる、と今でも信じています。

2011-03-11[n年前へ]

「愚者の楽園」 

 川原泉が自然と人を描いた「美貌の果実 」の中にある「愚者の楽園」から。

風の中で、人は、
小さく愚かではありますが…。
いかにも、小さく、
愚かではありますが…。
それでも人は、
いつの日も楽園を夢見て…。

2011-03-04[n年前へ]

ひとつの”ものさし”で計らない 

 何年も前、日曜朝のテレビ番組中で野村克也がイチローのプレースタイルを指して「野球をする上で大切なチームプレイをしていない」と苦言を呈していました。「一番打者で出塁率が重要なのに、四球を選ばず一球目からボールを打ちにいったりするのは”勝ち”に繋がらない」というわけです。他の言葉も言っていたのだろうと思いますが、その瞬間にはそんな言葉がクローズアップされているように感じました。その言葉を聞いた頃、ちょうど「メジャーリーグの数理科学」を読んでいて、出塁率の評価をどのようにするかとか、一塁打者の出塁率がチームの勝率に対してどのような寄与をするかを考えていたこともあって、野村克也の言葉に「なるほどなぁ」と納得したのです。

 しかし、それと同時に、こんな言葉にも納得してしまうのです。それはたとえば、「「トップアスリート」名語録 」中にあるような一節です。

 …伝説のホームランバッター、ベーブルースも、記者に「バットを短く持ってレフトへ流し打ちをすれば四割打てるのに」と言われ、「私がレフトへ二塁打を三本飛ばすより、ライトへホームランを一本打つのをファンは見たがっている」と答えている。イチローも「打率を上げるには四球を選ぶ方がいい」と言われながら、四球より一本でも多くのヒットを打つことにこだわっている。
 プロにはファンが自分に何を期待しているかを知り、それに答える義務がある。

 プロスポーツでも、あるいはその他のものごとであっても、「ひとつのものさし」だけでは計ることができないことの方が多いのではないか、と思います。試合の”勝ち”というものさしもあれば、興行としての”ものさし”もあることでしょう。その他にもたくさんの”ものさし”があるに違いない、と思います。

 けれど、時に、ひとつの”ものさし”を何かに当てはめてしまいそうになることがあります。そんなことをしてしまいそうになることもあれば、そんなことをしてしまったこともあります。

 たくさんの”ものさし”を筆箱に入れ、あらゆるものをひとつの”ものさし”だけで計らないようにするには、一体どうしたらいいのでしょうか。

2011-03-03[n年前へ]

「悩む時間がもったいない」 

 「「トップアスリート」名語録 」から、1957年に開催されたカナダ・カップで団体・個人ともに優勝した、ゴルファー中村寅吉の言葉。

悩む時間がもったいない。打ち続けると答えが見える。

2011-02-27[n年前へ]

「ここは人間が工場の主人公だ」 

 「下丸子にある町工場で電車で通うようになって…」から始まる一節が、多摩川を眺めたことがあるガテン系なぼくらにとても印象的な、 小関智弘「町工場で、本を読む 」から。

 世界の工場になろうという中国の産業の躍進ぶりは、テレビや新聞・雑誌でよく伝えられてきた。…どうせ行くのなら(中国の)町工場がいい。そこで働いている旋盤工と話がしてみたい。
 優秀な機械を買い揃えて、安い労働力をふんだんに使って…というイメージとはほど遠いその現場では、現場の若い技術者や技能者が額を寄せ合って、日本ならとっくにスクラップになっている門型のプレスを改良して、電気部品の深絞りに挑戦していた。
 いま管理のゆき届いた工場を見学すると、その職場の空気があまりに無機質なことに落胆してきた。それに比べるとここは人間が工場の主人公だ。

2011-02-26[n年前へ]

「汚れちゃったのは、どっちだ?」 

 藤原基央 BUMP OF CHICKEN "ギルド"( amazon )

汚れちゃったのは、どっちだ。
世界か?自分の方か。

美しくなんかなくて、優しくもできなくて。
それでも呼吸が続く事は、許されるだろうか?

汚れちゃったのは、どっちだ?
その場しのぎで笑って、鏡の前で泣いて。
汚れたって、受け止めろ。
構わないから、その姿で生きるべきなんだよ。
いずれにせよ、その瞳は開けるべきなんだよ。

 海抜ゼロメートルの辺りから、標高1000mを超える場所まで行き、青空や星空をよく眺めました。そんなとき、いつもMDに録音されたBUMP OF CHICKENの「天体観測」を聴いていました。