2014-02-06[n年前へ]
■「韓国・北九州の漂流ボート」で「魏志倭人伝の邪馬台国コース」を考える!?
福岡 北九州市の沖合を漂流するゴムボートが1月18日見つかったという事件…というか(事件ではないかもしれないけれど)奇妙な話。当時の海流を眺めつつ、計画したかもしれないコース(青色実線)と海流に流された場合のコースを描いてみた。釜山から対馬へ海を渡り、対馬の南端から飛行機に乗る、あるいは、対馬の西側海岸をなぞりつつ壱岐・九州に行く、そんな日本に辿り着くコースを描いてみたり、…あるいは、対馬と壱岐間の速い海流に流され北九州にまで辿り着くコースを描き、眺めてみました。
こんな地図(海図)を描いてみると、三国志の「東夷伝(魏志倭人伝)」に書かれている、中国から邪馬台国に至る道のりを連想します。
韓国を経て南へ、東へ、7000余里で〔倭の〕北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する。始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。…絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。
また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。…また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。4000余戸が有り、山海に沿って住む。
たとえば、韓国の海岸から(水平線の上に)対馬の陸地を見通すことができるのかといった見積もりや、魏志倭人伝が語る日本の姿を眺めつつ、2014年02月のワイドショーを眺めると、
対馬の最高峰矢立山は649mだから、112.8×√0.649=91km離れると見えなくなる。また、壱岐は山が低く女岳149mが最高なので、112.8×√0.149=44km。 したがって、図に示したように、岸狗邪韓國から倭国への航海では対馬は全く見えないか、波間に見え隠れする程度。また壱岐は近づかないと全く見えないことになる。まるで二千年近く前の古文書に書かれた外海渡航の物語が、あたかも現代に蘇ったようだ!と感じたりします。
対馬暖流の流速は1~3ノット(2~5.5km/h)なので、流速を仮に4/√2=2.8km/hとすれば、航行距離は、直線距離97kmの√2倍=140km程度になる。 しかし、途中複雑な海流に巻き込まれたり、風向きによってジグザグ航行をする場合などを考えると、順調にいっても直線距離の2倍の200kmぐらいであろうか。それを時速4km/hで割れば、50時間になるが、漕ぎ進むのを1日8時間程度(例えば、星座が見える夜間限定で進んだ場合)とすれば、約6日間の航行となる。