2004-04-19[n年前へ]
■AmetMultiで世代いろいろ
Chicさんの「awk版も欲しいとかいいだしたり」とか、Futamiさんの「sedはむしり取った衣笠で意外にいそう」とか、otsuneさんの「これってzshの目指している方向を漢字変換で代用しているってことだよね」とかを読んで、何故か思い出したのは「UNIXにみる世代間の断絶」
■「グッド=善」は何かをなくす
最近眺めた「グッド」&「バッド」で頭に浮かんだことをとりとめなく書いてみる。
「グッド」ラッパーは何かの文化を終わらせる。炊飯器のおかげで、ご飯の上手い炊き方なんて忘れてしまった。ワープロやFEPのおかげで、それ無しでは簡単な漢字すら書けなくなってしまった。PICのおかげで、電子回路を組む気力も消え失せた。そんな道具のおかげで、私は確実に楽になっている。だから、きっとそんな道具はみんな「グッド」ラッパーなんだろう。何か気にかかることを忘れたような気もするけれど、それを自分で選んだわけでもあるし、やはりそれは「グッド」なんだろうか。
イラクの人質の解放のために自衛隊撤兵を求める署名へを勧めつつ「しない善より、する偽善」と書く文を見た。「偽善」と思いつつそれを書いているのだろうか?それとも、実は「善」だと捉えているのだろうか?「しない善」を選ぶ人の姿を書き手は想像しているだろうか?「偽善」を標榜する「善」にはなってはいないだろうか。
When shall we meet again? When the hurlyburly's done, When the battle's lost and won. Fair is foul, and foul is fair. Shakespeare "Macbeth"