2009-08-09[n年前へ]
■「後悔しない意思決定」を決める「合理性」と「非合理性」
「後悔しない意思決定 (岩波科学ライブラリー) 」を興味深く読んだ。この本には、なるほどと強く納得させられる部分と、何かひどくもの足りなく感じる(説明が欲しくなる)部分、そんな相反する2つの「感じ」をともに強烈に感じさせられた。
はじめに、「ひどくもの足りなく感じる(説明が欲しくなる)部分」を書けば、たとえば、こんな部分
本書は合理的とは何かを問い、合理的に生きることによって後悔しない意思決定を推奨する本である。
本書では、人は合理的であることを前提としています。そして合理的であろうとすれば主観的期待効用モデル(「最適な決定は、効用の値をもっとも大きくする選択肢を選」という考え方にもとづくモデル)にもとづいて決定すべきであると主張しますが、・・・という辺りだ。こういったことを前提として、「合理的に」本で書かれていることがらを読み進めていけば、当然のように納得できる。けれども、人が「どうしてか」少なからず合理的に考えられないことがある以上、上に挙げたような前提・言葉を受け入れるために必要な「何かワンクッション」が足りないようにも感じてしまう。
だから、たとえば、本書冒頭の言葉、
本書は、意思決定をする際にさんざん悩み、しかも、決定した後で悔むような人のための指南役を目指すものです。に惹かれて頁を読み進めていくとき、「合理的に考えるとこのようになる」といった解説・解決策を提示させられたとしても、論理的でない部分で(端的に言えば感情的な部分で)胃にもたれてしまうのだ。合理的に考えれば納得できるのだだろうけど・・・と感じてしまい、なかなか納得した気持になれないのである。
とはいえ、「合理的に考えるべし」ということを「公理」として受けれ入れて、この本を読むならば、示唆に富むこと/アドバイスが実にわかりやすく書かれている。だから、論理的にはとても納得できる・役立つだろう本で、人に勧めたくなる。ただし、非論理的な部分(のために足りない何か)を補う「あともう一冊」を適当に選びたいとも思う。・・・たとえば、それはどんな本だろう?もしかしたら、たとえば、それは小説家のエッセイ辺りだったりするのだろうか。