2010-09-22[n年前へ]
■「すること」を考えることと、「その実装」を考えることと、「大量生産する」こと、と
「目から鱗」という言葉があります。そんなことを感じた時のひとつに、「(実装の仕方はわかるけれど)、何をどう作るかという根本的ななことは、私にはわからない」という言葉を聞いた時があります。その言葉を発したのは、あるMachカーネルのOS日本語版作成をカリフォルニアで作成した人でしたから、その言葉を聞いた瞬間少し意外に感じました。けれど、その人が何を言っていたか、少しだけ、わかるような気もしました。それは、「すること」を考えることと、「その実装」を考えることは必ずしも同じことではない、ということです。あるいは、そのふたつを同時に行うことができる人も(まれには)いるけれど、多くの場合は、その片方しかできないということでした。
「すること」を考え・作り出すためには、今ならば、数学か物理を自由に扱うことができないといけないようにも想像しますし、「その実装」を考え・作り出すには、(ある程度の数学と)プログラミング能力が必要とされるような気もします。そのどちらか片方が難しい・簡単ということはないのだろう、と想像します。それぞれのことが「できる」ようになるためには、きっとかなりの時間を必要とすることなのだろうと思います。それは、(設計から製造までの各過程をできる人の比率こそ違うかもしれませんが)機構・機械システム作成でも言えることかもしれません。
自分が何をしたいのかということと、世の中が何を求めているのかということと、そして、自分が何をできるのか、という3つの力のバランスで、そんなコックリさん的な解として、どんな道を選ぶかが決まるのだろうか、と思います。かといって、そんな三体問題には一般解はないわけで、結局のところ、自分の気持ち次第というのが本当のところ、かもしれません。
何にせよ、作りだしたものがすべて、というひとつの基準で判断されることなのかもしれませんが…。