2006-10-08[n年前へ]
■状態を伝えるアナウンスは「対応を選べる」タイミングで
Tech総研ブログ 平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女 に『状態を伝えるアナウンスは「対応を選べる」タイミングで』を書きました。
JRを使って移動する機会が多いので、JRが提供するものに対して「こうだったらいいなぁ」と思うこともたまにあるんですよね。とはいえ、そんなことは「たまに」ですから、実は結構満足しているのかもしれません。
「アナウンスされた情報を有効活用すること」ができなくなってしまっています。活用しえない情報では、すでに「情報」でない印象さえ持ったのです。
■「好きなようにやるって、そんなにいいこと?」
from n年前へ.
「自由に、好きなようにできる」ということは…みんながそれを望んでいるんだろうか。自分に自信があるとか、やりたいことがはっきりしているならばそれもいいのだろうけれど、そんな人って何人もいるものなんだろうか。
■エンジニアが「スルー力」欠乏症なのは当たり前…だから
「スルー力関連の記事」を読みながら、(IT関連に限らず)エンジニアが「スルー力」欠乏気味なのは当たり前だよなぁ…と考えた。何かを作り上げようとするなら、「作り上げるものがどんなものか」「どうやって作るか」といったことを考えることになる。そのとき、「よくわからないこと」が満ちている。どうやれば良いのか、他の人はどう考えているのか…そんなことが確かになっていないと、なかなかものを作り上げることはできないに違いない。そんな話題に対して、「スルー力」を発揮されたら、ちょっと困ってしまいそうだ。下手に「スルー力」を獲得してしまうと、エンジニアではなくなってしまうような気さえする。
だから、エンジニアの(重箱の隅をつつくようなス)「スルー力」不足症は職業病みたいなものなのだろう。とはいえ、そんな職業病に四六時中苛(さいな)まれるのは、とても大変そうだ。多分本人も大変だし、周りも同様に大変に違いない。
…だから、贅沢を言えば、話題に応じて気分・性格のモード切り替えができれば良いのだろう。けれど、そんな器用なことはなかなかできない。だから、エンジニアは「スルー力」欠乏症を抱えつつ、その「スルー力」欠乏気味の自分を自覚していれば良いのかもしれない。長所や短所は表裏一体の「もの」なのだから、その「もの」と折り合いをつけていくしかないのかもしれない。
■「止めない」
「 止めない」
悩んで足が止まることもある。迷走することもある。 …休んでもいい。さぼってもいい。だけど絶対に止めない。そういうものがひとつあれば、人生案外どうにかなっていくものだと、私はそう考えています。