hirax.net::inside out::2009年02月09日

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2009-02-09[n年前へ]

「”もし”と”もしも”の違い」で「もしも明日が」を論理的に読み解く 

 「もし」と「もしも」は、似ている言葉だけれど、違う言葉だ。たとえば、新明解国語辞典  (第3版 )の頁をめくってみると、一番目にあるのは「もし:将来起こりうることのひとつを取りあげて言うことを表す」というものだ。それに対し、「もしも」をひくと「もしも:”もし”を強めて言う言葉。特に起こってはならないことを予測して言う言葉(もしもの事(=万が一の事。特に死)」とある。確率的に考えれば、「もし」の方が「もしも」よりもずっと可能性が高い、という具合である。

 そんなことをしていた時、それなら、わらべが歌った「もしも明日が 」(下に貼り付けた動画)の歌詞の話になった。

もしも明日が 晴れならば…
もしも明日が 雨ならば…
もしも明日が 風ならば…
もしも季節が 変わったら…
 この歌詞を素直に聞くなら、明日が万が一にも「晴れ」でもなければ「雨」でもないし、「風が吹くこと」もない。明日は必ず、「風なく雪が降る日」や「曇り日」なのだろうか。また、それと同時に、この歌の中では季節も変わることがない、のである。

 だから、この歌の歌詞を素直に感じ取っていくと、「明日という日はない」という暗い言葉に聞こえてくる。「明日」という日がなければ、それは晴れにも雨にも風にもなりようがないわけである。そして、もちろん、季節も変わることがないということになる。

 「もし」と「もしも」の意味の違いを考えてみると、「もしも明日が」という曲がいかに暗く切なく哀しい曲であるかが見えてくるような気がする。

 「もしも明日が」は実に怖い曲なのである。