2013-03-06[n年前へ]
■ひな人形の「男雛と女雛が逆になる」までの詳しい歴史
ひな人形の「男雛と女雛が逆になる」までの詳しい歴史 を書きました。hirax.netでは、十年以上前から「手動(人力)検索エンジン”ぐるぐる”」を動かしています。「知りたいこと」をjun@hirax.net宛に送信すると、手動(人力)検索エンジンがその調査をするという仕組みです。…もちろん、スレッドはひとつだけで、単一プロセッサが「ガッツな手作業で検索クローリングをする」という、実に前近代的なシステムです。
というわけで、今日は
実家に"於ひ奈さ間" と墨書されたボロボロの雛壇がありました。男雛を向かって左に置くようになったのは、大正天皇の即位式で立ち位置を西洋式に改めたから...という記事を見かけるのですが、記事により、大正天皇だったり昭和天皇になっていたりしますし…左近の桜や左大臣は(向かって)右のままです…一体なぜなのでしょう?という検索キューへのレスポンス、です。
ちなみに、関東雛は、天皇の並びを反映して「男雛と女雛だけ」を左右反転したので、男雛・女雛配置とそれ以外の配置が矛盾してしまっています。たとえば、(右大臣より偉い)左大臣は向かって右のままですから、男雛・女雛は向かって左側が「偉い」側になっているのに、「大臣」は偉い側が右側になっています。そしてまた、「左近の桜、右近の橘」も天皇の向きで左=向かって右に桜があり、向かって左側(=天皇の向きで右近)に橘が位置しています。男雛と女雛以外は昔ながらの並び=昔ながらの(向かって)右が上位の考えに沿っているので、並びの思想には一貫性が無くなってしまいました。