hirax.net::inside out::2013年10月28日

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2013-10-28[n年前へ]

「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界 

 コント達者・リアクションのプロフェッショナルな方々が(視野角が広く・全周囲を自由自在に眺めることができるヘッドマウントディスプレイシステムである)Oculus Riftを掛けながら演じる「すれ違いコント」を拝見しました(Powered by @GOROmanさん)。

 昔ながらの落語でも、あるいは漫才でもコントでも…普遍的に面白い状況のひとつが、人の間のすれ違い行き違いです。たとえば、コンビニの店員とお客間の会話、あるいは友人同士の会話、互いの言葉や意図にすれ違いが生まれる状況は、笑いや(時にそれ以外の何かも)感じさせます。そんな極端な例が、コント演者の1人がOculus Riftをかぶり「他の演者たちとは違う世界を眺めている状況」かもしれません。そんな「すれ違いコント」を楽しみました。

 Sonyがウォークマンを出した時、「これは画期的なモノだ!」と思いました。それまでの時代は、「音・音楽」は特定の場所でしか聴くことはできなくて、逆に言えば、同じ場所にいる人たちは皆同じ音を聞いていたものでした。それが、ウォークマンが作られた瞬間、同じ場所にいても、違う音楽や違う音場を各人が聞いているのが日常になってしまいました。

 Oculus Riftを掛け「自分だけが眺める世界」を浮遊する人を見つつ、「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界が間もなく来るのかもしれない、と気づきました。今の時代なら、電車の中や駅前で違う音に包まれている人たちがいるように、少し先の時代には、違う世界・景色に包まれた人たちが、すれ違い歩く日が来るのかもしれない…と考えます。

 …それは、同じ場所で同じ映画を見ても、必ず違う部分を見ているのと似ている。われわれは他人とまったく同じものを見ることができない。残念だが。

今日見た景色をなぜ作りたいか

 あるいは、その逆に、遠く離れた違う場所にいる人たちが「同じ景色」を見ながら、一緒に集(つど)うことが普通の日が遠くない未来に実現しているに違いありません。

 こうして、世界の姿が少しづつ…あるいは時に大きく変化していくのだな、と思います。そんな未来を垣間見た数時間でした。

「自分だけの世界」をウェアラブルにまとう世界