2005-01-03[n年前へ]
■何かが「ある」こと
アクティブにいきたいねと思いつつ日記 「どこまでもアジアパー伝」
何かが「ない」ことを証明するのは、何かが「ある」ことを証明するよりも、ずっとずっと難しいことである、と一般に言われる。それは真実なのだろうが、人間の感覚は理屈と違って、この法則に縛られない。つい軽率に「ない」と口に出してしまいがちで…
■「あしたのジョー」が顔を向ける「左の未来」
「夏目漱石の孫の」というより「マンガ評論家の」という方が自然になった夏目房之介の「マンガの深読み、大人読み」では、ジョーとホセの試合で彼らが右に位置したか、左に位置したかを、そして、その左右の位置がどう入れ替わっていったかを考察し、さらに次のように書く。
右から左方向へと読む日本のマンガ文法でいえば、基本的に右から左へと時間は展開し、事件がおこる場合には左方向へと人物が解決に向かう。逆に主人公が右方向を向くと「戻る」「引き返す」という意味をおびることが多い。つまり、挑戦する「未来」は、常に左方向にあるのだ。あの「真っ白に燃えつきた」ラストシーンで丈は、やはり左方向を向いてほほえんでいる。(中略)燃えつきた「あしたのジョー」が、微笑んで顔を向けていた「未来」に、今僕たちはいる。
■「左の未来」と「右の正義」
「左の未来」で思い出すのは、「英語で右 = rightが-正しい-のと同じく、ドラマにおいて善玉は右・悪玉は左に立ち、ウルトラマンのスペシウム光線も仮面ライダーのライダーキックも、もっぱら右から左へ放たれる」と書く「ヒーローと正義」だろうか。それとも、「右目(right eye = 正しい目)」を失明し「左目(left eye = 残された目)」だけで眺める世界を描く「Right Eye」だろうか。
のこされた私と、のこされた瞳は今日もまた目の前のものだけを見る。君たちと右目の代わりに。それでも、のこされたものは、のこされた瞳でのこされた夢を見つづける義務がある、いや自由がある。あのカメラマンが、それでもシャッターを押したように。あの戦場の光の真下で、悠久の時へ向けて。 「Right Eye」
■キャラバンⅡ
1975〜1980年にかけて、TBSテレビで朝の7:20(後に7:00)から放映されていた「おはよう720」(「おはよう700」)という番組が放送されていた。この番組の中の1コーナー「キャラバンⅡ」の影響で、旅をし続けることに憧れた人は多いだろう。リスボン→東京、アラスカ→フェゴ、アフリカ→東京…と、毎日車で旅をし続ける風景で一日が始まった人も多いだろう。少なくとも、ある世代には。
ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」もオリビア・ニュートン・ジョンもジョン・デンバー「カントリー・ロード」も、この番組とともに口ずさむ人も多いかも。
■?Immagin a/e ?
不思議な画像や絵画を作り出している?Immagin a/e ?。