hirax.net::inside out::06月10日

2000-06-10[n年前へ]

やけに長い一日。

天気は最高。いくら歩いても苦にならないぞっ、と。

2001-06-10[n年前へ]

MPEG2とシンデレラ

 朝からビデオをがりがり作成。この日はまだDVでいくか、MPEG2でいくか決めかねてた。MPEG4は画質的にNG。夜はKさんの発表の推敲をしてた。深夜、前に買った長い差し棒を探し回るが見当たらない。しょうがないから、短いのを持参することに。時々、しみじみ話したりしながら、シンデレラが帰る頃に帰宅。

2002-06-10[n年前へ]

交差点

 早朝、下丸子から、千鳥町へ歩いていく途中に見た景色。(リンク

鳥居

 千鳥町から、池上へ歩いていく途中。(リンク

紫の花

 池上町から、千鳥町へ歩いていく途中。(リンク

woh woh

 新幹線の中では、たいていShinkansen Music Channelを聴く。JR東海とJR西日本管轄のこだまで放送内容は違うが、今日はJR東海。で、今日はCh.3 Artist Collection 小田和正 自己ベストを聴く。(リンク)(リンク

2003-06-10[n年前へ]

「QUALIA」ブランドの高級コンパクトデジカメ

 まるでPentax Auto 110みたいでとても欲しくなる「QUALIA」ブランドの高級コンパクトデジカメ。が、価格は380,000円にビックリなのだ。

多数派が正しい世界

 自分をさておき言うのだけれど、技術者の人って「多数派が正しい世界」を理解し難かったりするのだろうか、とふと考えた。「無断リンクを禁止だなんて…」「インターネットにつながっている限りは公道みたいな…」「本来これはこういうものだ…」etc.
 技術が広まっていくに従って、技術だけの世界からそうじゃない世界に変わっていくのだから、あまり「技術の論理」を振りかざすとそれは単に老人のたわごと(それは論理的に正しいのかもしれないけれど)に響いてしまような気もしたりして。

誰かの落書き

 ここに残しておくのでwikiの方は消しておきますね。

アナタのココロの中にだけ

 音楽が素敵なFLAH。適当に名付けてしまえば、アナタのココロの中にだけ。これは結構有名な「視覚特性を使った面白い画像」ですね。ココロの綺麗な人には何かが見えるというわけですけれど、もちろん誰でも見えます。もちろん、誰でもココロが綺麗なわけですね。

はてなダイアリで語句解析

 も同時にするために、サンプルデータとして過去の日記本文も格納しています。なので、キーワード何処かに検索用に書いておくと役に立つかも。

2004-06-10[n年前へ]

ツツジとキノコ?

ツツジとキノコ?ツツジとキノコ?






2005-06-10[n年前へ]

品川

 コクヨホールへ。「電子写真の光沢と形状」というアリガチな煙幕を張りつつ、「強引に電子ペーパーまで繋いだ未来」にたどり着けたかどうかは、…怪しいところです。とはいえ、良くも悪くも他の人にはやれない(単に「やらない」ともいう)タイプの報告ができたのなら良いな、と思っています。そして、それが何かしら楽しんでもらえたのであれば嬉しい限りです。

 というわけで、一番右の画像中の*は

*As tilt detection and image display software, VR-Display (provided by hirax.net) is used.
という注意文です。ラストから4枚目にあたる「As “HANDHELD PRINTS” System」と題したスライドの一部ですね。

 ちなみに、ついでに会場で見せた立体ディスプレイを見ながら、「俺は下から(スカートの中を)覗きたいな」と言っていたのはR社のI氏。ロゲルギストの今井功(=I2)氏の御子息です(あっ、イニシャルで隠した意味がない…)。草葉の陰で泣いているんじゃないでしょうか、お父上が…。

品川品川品川






一眼レフ用超小型蛇腹レンズ

 「レンズ一枚が蛇腹で繋がっているだけ」のLensbaby 2.0.
Lensbabies >>> camera lenses that create a movable 'sweet spot' area of focusLensBabyレンズベービー入口 New York Watch: Lensbaby 2.0ダメダス.NET: レンズベビー -LensBaby-

2008-06-10[n年前へ]

「他人の気分推定機」と「カルマンフィルタ」

 よくある制御工学の教科書がわかりにくい大きな理由は2つあると思う。まずひとつ目の理由は、読者としての私の理解力が低く、頭が悪いという根本的な問題である。そして、もうひとつの理由は、すでに綺麗に証明された問題を、その綺麗な数式の記述・順番で説明していく、という本が多いことにあると思う。その綺麗な証明にいたるまでの試行錯誤の説明がないと、「そういった数式をなぜ導出するに至ったか」といったことや、「その数式を使って、本来(さらにその先)何がしたいのか」ということがわかりにくくなってしまうと思う。ひとことで言うと、エレガントな証明とわかりやすい説明は違う。少なくとも、私のようなおばかな人間にとっては、そう思う。

 制御理論の教科書で、何だか読み飛ばしたくなる「状態量オブザーバ」「カルマンフィルタ」なども、それを例えるなら、単に「他人の気分推定機」に過ぎない。一見難しそうな言葉を使って書いてある数式も、そこに書かれている内容を例えていくなら「"直接知ることができない"他人の気分をいかに正しく安定して推定するか、というフィードバック機構」に過ぎない

 「他人の気分・他人の心の中」というものは、(少なくとも現在の技術では)外からは計り知ることができない。そこで、「この人はこんなことを考えているのかな?」と想像(推定)しながら話をしてみる。ところが、「その人の顔色や話す言葉からは、何だか”その人の気分”が私たちの想像とは違う」という感じがする。……それなら、「この人は”もう少し気分が悪い”と考えておいた方が良さそうだ」とか、その逆に「この人は想像していたより”少し気分が良い”らしい」と想像上の「他人の気分・他人の心の中」をちょっと訂正するのが「オブザーバ」である。

 そして、その人が結構ウソをつきがちだったりした場合の「他人の気分・他人の心の中推定機」が、カルマン・フィルタだ。「この人はこんなことを言っているけれど、(こういったジャンルの話では)この人は言うことと・心の中とこの人は違うことが多いから、ちょっと言葉を聞き流し気味に捉えておいた方が良さそうだ」といったことを考えつつ、「他人の気分・他人の心の中の推定量」を(より正しそうな)フィードバック補正をするのがカルマン・フィルタである。

 それだけのことなのだけれど、教科書の数式の羅列を追いかけている最中には、そういう景色が見えてこないことが多いように思う。そんな不満足の解決をするためには、「歴史の教科書のように試行錯誤の過程に満ち溢れた、決して”エレンガントな証明本”でないような教科書」をどこかで手に入れて読んでみるしかないのだろうか。……それとも、根本的な一番目の原因「読者としての私の理解力が低く、頭が悪い」ということを直すことしか解決策はないのだろうか。